至福の読書時間
2012年 06月 24日
『 銀の匙 』 中 勘助 (1935年 岩波文庫)
偶然手に取ったのだけど、いやぁ、幸せな読書体験でした。
最後の頁を迎えるのがさびしい感じ。 ゆっくりじっくり読みすすめた。
中 勘助(1885~1965)は東京出身の作家・詩人。
高校・大学で夏目漱石の講義を受けた。
若いころは詩歌に没頭して散文には興味を示さなかったが、27歳のときに初めて書いた自伝的小説「銀の匙」が漱石に絶賛され、1913~1914年、東京朝日新聞に連載。 前篇と後篇とがあるが、この文庫にはその両方が収められている。
幼少から病弱で神経過敏だった主人公。彼の目を通して、明治半ばの生活がおどろくほど細かく描かれている。
つきっきりで世話をしてくれた伯母、近所の幼馴染の女の子、少年になってからの淡い恋。文章が美しい。そして、子供の世界を、大人の目のフィルターを通さず、子供の視線のままで書いたような作品だ。 ありえないことだけれど、たしかにそう感じる。 和辻哲郎の解説の言葉を借りれば、「『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかもそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶でもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。」 「この作品には先人の影響が全然認められない。それはただ正直に子供の世界を描いたものであるが、作者はおのれの眼で見、おのれの心で感じたこと以外に、いかなる人の眼をも借りなかった。言いかえれば「流行」の思想や物の見方には全然動かされなかった」。
それにしても、これほどまでに具体的な描写がなされるとは。幼少期に病弱で神経が過敏であったことと驚くべき記憶力には何らかの関係があるのかな。
快活に過ごすことができない内弁慶の甘ったれな坊ちゃん、という見方もできるわけで、好き嫌いがわかれる本かもしれないけれど、このきれいな文章と、つたわってくる子供の世界観はちょっと他では味わえないものだと思う。 長い付き合いになりそうな一冊。