私の青空
2013年 08月 15日
「青空、と訊かれて、僕がいつも思うのは、終戦のときの空。実際には、何も終戦の日だけ、特別に天が空を青くしたわけじゃない。戦争中も凄い青空だった。それこそB29がやってくると真っ白な飛行機雲が伸びて・・・。
でも、なぜか8月15日と青空を結び付けているのは、やはりあのときほど心が解き放たれたことがなかったからだと思う。
体験のない人にはどんなに言葉を尽くしてもわからないだろうが、電気の明かりさえ見えない時代だった。空襲を避けるために、窓を密閉して明かりが洩れないようにする。さらに電球には黒い布をかけて、本当にその真下だけ、わずかにほの明るいような。そういう統治下で、じっと息を潜めて、それでも何とか生きようとみんな頑張っていた。
そんな閉塞された生活から開放されて、まっ暗な焼け跡に裸電球がポッと点ったとき、もう本当に拝みたいような気持ちだった。いまでも、知らない町で人家の窓明かりがポッと見えると、心が濡れる思いがする。空の色も同じで、「抜けるようないい青空」というのは「ああ、平和になったんだ。戦争は終わったんだ」という象徴なのだろう。
僕の心のなかにある青空は、正確にはあのときの色ではないような気もする。あの解放感のなかで見た色に、自分の考えや憧れをどんどん塗り重ねていって、絵の具が厚くなった油絵みたいな空ができあがっているようだ。けれどいまもその青さを実感できるのは、やはり心が開放されていてこそなのだろう。」
(小沢昭一「空をみるこころ」より抜粋。『なぜか今宵も ああ更けてゆく』(晶文社)に収載)
去年の8月15日の日記にも同じ文をのせたけど。 今年も。
小沢さん、去年の今頃はまだラジオの「小沢昭一的こころ」をやっていたんだった。
その後9月に体調不良で番組をお休みし、12月10日に帰らぬ人となった。
「戦争になりそうな気配がでてきたとき もう遅いみたいですね 私どもの経験からしますと 戦争になりそうな気配のケハイがでてきたとき やっぱり声をそろえて「もうやめよう 頑張らないと」と あれは(戦争)結局人殺し大会ですからね 早いはなしが えぇ 腹の底から 私 おおげさにいえば憲法改正とか そういうのが近づいているような 噂も耳にしますが なにがどうなっても なんとかしのいでやっていけるけど 「だけど 戦争だけはもうお断りだ」ほかはどうなっても そういうふうにこの頃 腹の底からいいたいですね。」
(2006年3月、江東区で開かれた「東京大空襲を語り継ぐ会」より)
小沢さんが亡くなってから8か月。政局もめまぐるしく動いている。
いまの日本の姿を見たらどう思うだろうか。
心を痛ませているか・・・にんまりしながら「ほら言わんこっちゃない」と呆れているか。
「戦争ってものは、なっちゃってからでは止められません。なりそうなときでも駄目。なりそうな気配が出そうなときに止めないと」
以前は身近にいた歴史の語り部は本当に少なくなってしまった。「戦争だけは絶対に嫌だ」という思いは実際に経験した人が言うからこそ重みをともなって伝わる。
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今日は仕事帰りに横浜のスタジオで個人練習。
いろいろと重なるときには重なるものです。
家だと遅い時間に吹けないし・・・ちょっとお尻に火がついてる感じ?
ありがたいことと思いつつ。