春待ち遠し
2015年 01月 13日
そのラインナップの中に、自分にヒジョーに高い訴求力をもって迫る一枚がっ!(大仰)
さっそく仕事帰りに駆けつけただよ。
こよなく愛するそら豆さん柄。
「そら豆ちらし」というタイトルらしい。
春が・・・初夏が・・・待ち遠しいねぃ・・・と思いを馳せつつ、今宵はこいつを肴に一献。
獅子文六、かく語れり。
「私の好きなものは、鮎、ギンポと、薫風と共に、世に出てくるが、もう一つ、忘れてならぬものがあった。
そら豆。
私は、そら豆が店頭に出る頃から、枝豆と交代する盛夏まで、一日も休みなしに、晩酌の膳に載せる。そら豆の皮が硬くなり、茶色の斑点を生じても、まだ未練たらしく、追いかける。
といって、四月頃の走りのそらまめが、小指の爪ほどもない大きさの時には、それほど愛着を感じない。何か、残酷な気がする。やはり、黒い眉ができて、皮からハジき出して食べるぐらいに、育ってくれないと、真味がない。そして、二ヶ月間ぐらい、毎晩食っても、ちっとも、飽きない。」
(「鮎の月」・・・『食味歳時記』 収載)
色川武大、かく語れり。
「そら豆が豆の王者というのはまことにそのとおりで、あれほど完璧な喰べ物というものも珍しい。私は、森羅万象、この世は人間のためにあると思う考え方が嫌いで、いっさいの喰べ物に関して、それを喰う権利などまったくないのだと思う。ただ必要に迫られて結局喰ってしまうけれど。(中略)そうは思うけれど、そら豆と海老に関する限り、その形といい、味といい、当然喰べられるために生まれてきたとしか思いようがない。(中略)聖書に記してあるように、神が人間のためにくださった物だとはどうしても思えない。喰べるということは、根本的には不道義なことであり、だからこそ何にもかえがたいほどうしろめたい楽しみがともなう。」
(「右頬に豆を含んで」・・・『喰いたい放題』 収載)