銀座十二章

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『銀座十二章』 池田弥三郎 (旺文社文庫 1980年)

なぜだか、昔日の東京に惹かれる。
大正から戦前までくらいの。

この「銀座十二章」は、銀座四丁目の交差点のそばにあった天婦羅屋「天金」の二男として生まれ、家業は継がずに国文学者となった池田弥三郎(1914~1982)が、生まれ育った銀座について語りつくした一冊。1914年ということは大正3年の生まれ。大正期に物心ついて多感な少年時代を過ごした世代になる。今ではあまり語られることのない時代といえる。

その大正時代について、著者は、明治38年に日露戦争が終結してから大正12年の関東大震災で東京が壊滅してしまうまでの間こそが、明治とも昭和とも違った、別の一時代であったように思われる、と書く。明治39年1月の大山元帥や乃木大将らによる銀座通りの凱旋行進が、古き明治の時代が歩み過ぎ、新しき大正の時代の訪れを告げる象徴的事象であったと思われてならないと。そして、その後、関東大震災の頃までは、日本は欧州の戦争をほとんど部外者として眺めていた時期だった、と。

(著者の思う大正時代が)政治史の大正時代とは、ぴたりと重ならず、少し早めにずれているわけだが、わたしが日露戦争の終結ということを、その時代のはじまりの目安に持ち出してきたのは、わたしなりの理屈がある。それは簡単に言って、国全体、国民全体が、ひとつの目標に向かって歩かせられた時代が、そこで終わったと思うからで、それ以後は、国の意思といったものが、ひとつの目標に向かって、国全体をひっぱっていく、というようなことのない、つまり「国是」というもののない時代がはじまるように思われる。(「十の章 わが銀座の記」より)

明治39年以降、あらたな文芸誌が続々と創刊され、あらたな演劇を担う有楽座が出き、パウリスタやプランタン、ライオンなどのカフェーが開店し、ついでに教育改革も・・・と、文化的に百花繚乱な時代となっていく。著者は、もうひとつ、明治39年から大正12年までの間、ちょうど大学野球の早慶戦が停止していた期間として詳しく書いているのだが、ここでは割愛。

歴史的な出来事の羅列を目にするよりも、その時代に生きた人たちによる日常のエピソードを読む方が、たとえチンプンカンプンな理解にせよ、時代の空気を鮮やかに感じることができる。もちろん想像の範囲ではあるけれど、それが面白い。

そういえば、このごろ、ひとつの目標に向かってとか、国是とか、ときおり目や耳にすることがあるように思うけど、それは自分の気のせいか、、、



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by hey_leroy | 2017-04-11 05:55 | books | Comments(0)
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