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今年もまた「いのち」のこころだァ


8月15日。

今年も、小沢昭一さんの「いのち」という文章をのせます。
ユーモアのオブラートに包みつつ、でも毅然と時代の空気を伝えてくれる貴重な存在であることは、亡くなってもうすぐ5年たつ今もかわりません。
が、世の中の空気はこの5年でずいぶん変わったようにも思います。
まったく同じ文章を今年ものせるのに、年々、何となく息苦しさが増してゆく。
自分が考え過ぎなのでしょうかね。

おばあちゃん、ひいばあちゃん子として育った自分。
右でも左でもなく、当時の市井の人々の思いが代弁されているように思えます。
当時でもいろいろな考えの人がいたことは否定しませんが。

戦争体験を直接教えてくれる語り部は当然のことながらいなくなってゆく。
原爆の被害にあったひと、戦争孤児、そして戦時を生きたすべての人々。
語り部二世・三世である自分たちがどう伝えてゆくのか。
責任は大きいと思うのですが。

1993年。24年前の言葉ながら、毎年読む度に胸に迫るものがあります。



「いのち」

 私は昭和ヒトケタ生まれです。あの時代は、実は戦争前夜だったのですが、子供にとっては平和な毎日でした。小学生、中学生の頃は戦争のまっ只中。軍国少年としてはやがて軍隊の学校へ。そして間もなく敗戦。焼け出されの丸裸の青年時代を焦土にすごし、そして平和日本を働き抜いて、いま、その平和に、なにやら不安を感じております。
 激動の昭和から平成へと生きて、私、つくづく思いますことは、この世の中、ものの善し悪しは、なかなかオイソレとは判定しにくいもの、という実感ですが、しかし、そんななかで、たった一つ、これだけは、と確信の持てたことは、人間の「いのち」は何にもまして尊いということであります。
 けれどもこれは、幼少の頃から、♪ 海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・で、てんから"屍要員"として育てあげられ、そして、紙一重の差で死なずに生きてこられた私たちであればこそ、「いのち」の大切さを身にしみて思うのかもしれません。この頃は「いのち」の尊重を痛感するあまり、蚊も打たずに逃がしたりして、しかしこれは一種の老化現象かな、なんて思ったりしていますが・・・。
 じっさい、何が「いのち」を粗末にするといって、戦争ほど、人間の「いのち」を軽く見るものはなく、もう無残にも「いのち」は踏みつぶされ蹴散らかされるのです。
 でも、そのことに、私たちは、あの戦争に負けた時に、はじめて気がついたのです。あの時、不思議と頭の中がスーッと澄んで、モノが実によく見えました。あれは、多くの「いのち」を失った代償だったのでしょう。私たちは、それまでの無知を恥じ、もうコンリンザイ戦争はごめんだと思ったものです。「戦争放棄」の憲法は、アメさんから押しつけられたにせよ何にせよ、あの時、日本人の皆が、ごく自然に、素直に、そうだ、それが一番いいと、心底、納得したことだったのです。
 だから、世の中の、大抵のことは、何がどうなってもいいから、戦争だけはごめんこうむりたい、「戦争放棄」だけは守り抜きたいという、これが、私の人生で、たった一つだけ出た明白な結論です。人間、長い人生の間には、考え方も少しずつ変化するものですが、この考えばかりは変わりませんでした。
 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘る」ですか、このごろ「憲法見直し論」がチラホラ顔を出してきて、私はとても心配です。いえ、見直しも結構ですが、第九条ばかりは、そのまま、そのまま、でありますよ。
 「戦争放棄」は、政治に哲学がないなんていわれる日本が、唯一、世界に先がけて打ち出した、まことに先見性のある政治思想と思われるのでありまして、この、百年か二百年先の時代にツバをつけた新思想を、なんとか保持したいものです。世界の先頭切ってやっていることですから、そりゃいろいろ障害も出てきましょう。そこを何とかやりくりするのが先駆者のつらいところで、それを、ほんの五十年ぐらいで取り下げちゃいけません。
 戦争は病気と同じです。病気はかかったらもうおそい。かかりそうになったら、でもおそい。それよりふだんの、かかる前の予防が大切だとお医者に教わりました。
 戦争も、私たちはよく知ってますが、はじまってしまったらもちろんのこと、はじまりそうになったら、もう止められません。戦争のケハイが出ても、もうおそいのです。ケハイの出そうなケハイ、その辺ですぐつぶしておかないと・・・つまり、戦争は早期予防でしか止められません。しかも、その戦争のケハイなるものが、判りにくく、つかみにくいのです。戦争の反対は平和ですが、平和のための戦争、と称えるものもありますしね。いえ、おかしなことに、いつもそうなんです。あの戦争の時も、
 ♪ ・・・東洋平和のためなら、なんの、いのちが惜しかろう (「露営の歌」)
 と、毎日歌って戦いました。ですから「国際貢献」「国際協力」「世界平和を守るため」というのも、こわいケハイです。 ♪ 国際貢献のためならば、なんの、いのちが惜しかろう・・・ということにならないように、なんとしても、予防しなくては!
 私、ひごろ、澤地久枝さんを、わが世代の代弁者と思っておりますので、その著『いのちの重さ ――声な喜き民の昭和史』 (岩波ブックレット)から、次の言葉を引いて、この小文を止めます。

 ――「いのちの重さ」を確め、守ろうとするのは、かつて日本の政治によって、いかにも軽く扱われた日本人と他国の人々を考えるからです。
 ――「はじめにいのちありき」であり、最後に守らるべきものもいのちです。いのちに国境なしです。

 愚考しますに、「はじめにいのちありき」を「国境」をこえて「他国」へ訴えることの方が、「国際貢献」ではないでしょうか。


  (文藝春秋 『同時代ノンフィクション選集』 第七巻月報 1993年5月)
   = 『話にさく花』 (文春文庫)
      『せまい路地裏も淡き夢の町 小沢昭一百景 随筆随談選集2』 (晶文社) 収録
 
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by hey_leroy | 2017-08-15 00:00 | ことば | Comments(0)

こしたやみ


"裏の みずき が今年は酷く沢山花を持って、その黴(かび)のような小さな花が知らぬ間にこぼれて、一と晩じゅうに庭を蔽いました。私は春の芽ざしの頃の美しさ以外、この樹を好みません。育ちの早い、茂りの卑しい樹です。私の書窓もそろそろ木下闇で暗くなります。では又。"

先日読んでいた岩本素白の随筆集の中の一文「板橋だより」(昭和26年)からの抜粋。最後の一節の「木下闇」という言葉に目が留まる。

木下闇。こしたやみ、と読む。初めて知った。
俳句での三夏(さんか)の季語だそうな。
ちなみに三夏とは「陰暦で、4・5・6の夏の3か月。初夏・仲夏・晩夏」だって。

茂ってきた木の葉の陰になってできる暗さ。
夏に、明るい陽射しの下から木陰に入ると一瞬真っ暗に感じたり、な雰囲気。
素白先生は家では書斎を決めず、季節や時間によって家の中を転々としながら読書したり随筆を書いたりしていたらしい。その場所場所で、手元が樹の陰で暗くなっている様子が目に浮かぶ。

今はあまり使われない言葉で「手暗がり」なんてのがある。夜に本(マンガ)読んだり、一夜漬けで勉強したりするとき、スタンドの明かりの向きによって手元が陰になって見えづらいとき「あ、手暗がりだ・・・」とか言ってたけど。
木下闇はさながら「樹暗がり」ってところかな。

いい言葉だな、と思う。


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by hey_leroy | 2017-04-26 21:59 | ことば | Comments(0)

粋と了見


「了見」という言葉。
今や、落語とか昭和以前な言い回し(?)でしか耳にしない、いわゆる"死語"な印象。
でも、いい言葉だなぁと思う。

「~~とは、どういう了見だぁ!?」
「まったく、狭ぇ了見だぜぇ」

・・・否定的なシーンで使われることが多いイメージか。

いわゆる「考え」という意味だけれど、思慮や分別といった、ちょっと深さや奥行きを感じさせるというか。
オトナが使う言葉だなぁ。

ずいぶん前、贔屓の噺家、古今亭志ん橋さんが座右の銘的に「粋と了見」という言葉を雑誌に載せていて、その時は"へぇ"ぐらいにしか思わなかったのだけど、それでも頭の片隅にはなんとなく引っかかっていたようで。

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これこれ。もう雑誌自体は手元にないのだ。

自分としては、粋っていうのは今さら目指そうとしたってどうしようもないけど、大人の了見を身につけるっていうのは、これもまぁ難しいとしても、意識はしていたいなぁと思った次第で。

政治やら、なりふりかまわぬ感じのJASRACやら、世の中そんな狭い了見じゃぁいけませんや、というのがハナシの発端ではあるんすケドね。




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by hey_leroy | 2017-02-05 20:51 | ことば | Comments(0)

如月閑話

『人間は、そう何にでも関心を持つはずのものではなし、そう何もかも終始心にかけているものではないのに、何かが起こると、まるでその問題を半生かかって考え抜いてきたような発言をする。‥‥何か発言しなくてはならぬにしても、自分にとって最も切実なことだけを口にするという習慣を身に着けたらどうでしょうか。本当に言いたいことだけを言い、本当に腹が立つことだけに怒り、大袈裟に言うと、「これがなければ自分は生き甲斐なし」と思うことだけを求める‥‥いわゆる社会の不安などそれでだいぶ落ち着き得るのではないか』 「平和論の進め方についての疑問」 福田恆存 (『中央公論』1954年12月号)

昭和29年の文章。当時の評論家・文化人に向けた言葉と思われる。最後の一文など、情報化社会の現代では説得力は無い気がする。 でも、一億総評論家、そして一億総ツッコミ時代といわれる今、ちょっと心に留めておくべきなのではと思う。 ちなみに、こんな難しそうな論文を自分が読んだわけではもちろんありません。太字部分を以前知り合いがSNSに上げていたのをメモっておいたので。
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by hey_leroy | 2015-02-05 06:05 | ことば | Comments(0)

日にち薬

ひにちぐすり。

こないだ読んでいた田辺聖子さんの『 姥ざかり花の旅笠 』に出てきて、初めて知った。
関西でつかわれている言葉とのこと。

悲しいことやつらいこと、体の不調も、月日が過ぎることで薄紙がはがれるように少しずつ良い方向にむかっていくでしょう、という意味。自然治癒力に期待するというか。逆に「すぐには解決しないよ」ということでもあるのかな。お医者さんが患者さんに言ったりもするらしい。

こういった内容のことを自分自身で感じたり、人に伝えたりする機会はたびたびあると思うけど、それを「日にち薬」という一語であらわすこの言葉は、その語感のやわらかさも含めて、素敵だなあと思う。いろいろな言葉をならべなくても「それには日にち薬ですね」とだけ言えば思いが伝わる、みたいな。

日本人がもっていた(過去形かよ・・・)表立たない思いやりとか心くばりの気持ちが込められた言葉って、ほかにもあるんだろうな。


言葉といえば、タイムリーいうかなんというか。
新作映画のことは疎いんだけど、今月、三浦しをん原作の 『舟を編む』 が映画化公開とのこと。
とある出版社で、新しい辞書の編纂に情熱を傾ける人たちの話。
松田龍平、宮崎あおい、小林薫、八千草薫らが出演。
ちょいと気になります。 公式HP
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by hey_leroy | 2013-04-04 23:23 | ことば | Comments(0)

Life Goes On

朝、出がけに本棚を眺め、あっ、と思い出して、ポール・オースターの『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』(新潮文庫)を抜きだして出発。通勤の車中で、そのなかの掌編 『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』 を久々に読む。

1990年のクリスマスにニューヨークタイムズ紙に掲載された、フィクションともノンフィクションともつかない独特の雰囲気を持つ短い小説。ブルックリンの街角の食堂で語られる、温かくてちょっとビターなクリスマスのできごと。この文章が映画監督ウェイン・ワンの目に留まり、のちに映画『スモーク』へとつながっていく。映画は、クリスマス・ストーリーの語り手である煙草屋の店主や客たちをめぐるエピソードを、淡々と、深い味わいで描く。見てない人は、ぜひ。ハーヴェイ・カイテル、渋いです。そして今日読んだ本には、『スモーク』とその続編的な映画『ブルー・イン・ザ・フェイス』の2本分のシナリオ、「スモーク」の原案となった上述の『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』、原作者で映画では脚本も手がけたポール・オースターへのインタビューなどで構成されている。

そのインタビューでの、『スモーク』はコメディーか?ドラマか?というインタビュアーの問いに対するオースターの答え。

「僕はずっとコメディーだと思ってきたけど、それは「コメディー」という言葉を古典的な意味でとっている。つまり、物語の終わりには誰もが最初に較べると少しは幸せになっている、という意味だ。口幅ったい言い方だけれど、シェークスピアの喜劇と悲劇との違いとは、劇の内容というよりはむしろ、葛藤がいかに解決されるかにある。(悲劇と喜劇の)どちらでも人間は似たような問題を抱えている。悲劇だと、みんなが舞台の上で死ぬことになる。喜劇では、みんながまだ持ちこたえていて、人生は続く。僕は『スモーク』をそんなふうに考えている。良いことも起きる。悪いことも起きる。だが人生は続く。それゆえ、コメディーなんだよ。」

なんか、うまいこと言うねえ。
で、じっさい『スモーク』を読んだり観たりすると、その言葉がとてもしっくりくるんだ。


「良いことも起きる。悪いことも起きる。だが人生は続く。それゆえ、コメディーなんだよ。」


横須賀中央には、この話の主人公と同じ名前のbarがある。行こういこうと思いながら、お邪魔したのはまだ数回ほど。今夜行こうかねぇ・・・でもタイミングがなんだかジャストすぎるよねぇ。。。と、わけのわからない二の足を踏んで、別の酒場で酩酊する。
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by hey_leroy | 2012-12-25 23:59 | ことば | Comments(0)

こぼれ幸い

小島政二郎の随筆を読んでいて 「こぼれ幸い」 ということばを知る。

こぼれざいわい。

どことなく粋な響き。
思いがけなく転がり込んできた幸運、の意。
"棚からぼた餅"よりも美しい。

どこかで使ってみたいな、と備忘メモ。
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by hey_leroy | 2012-02-15 22:19 | ことば | Comments(0)