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吾輩は猫ではない


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古書店で時間つぶしのために買った江戸家猫八(先代)の自伝的エッセイがまさかの続きものだった件。
続編読みたさに、けっきょく図書館へ。

さらりとした笑いを交えつつ、芸の世界、東京っ子の暮らし、そして戦争、原爆のこと。
市井に生きる人の視線で書かれたこういう本は、今こそ多くの人達に読まれるべきだと思う。
読み継がれていくべき本だと思う。



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by hey_leroy | 2017-05-29 22:43 | books | Comments(0)

尾崎翠関連2冊


こないだ読んだ尾崎翠の「第七官界彷徨」が面白かったので、関連本を読んでみた。

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『尾崎翠』 群ようこ (文春新書 1998年)
『尾崎翠への旅』 日出山陽子 (小学館スクウェア 2009年)


明治29年鳥取県生まれ。女学生時代に文芸雑誌に投稿をはじめ、卒業後も尋常小学校の代用教員をしながら創作をつづける。大正6年、文学を本格的に志し退職。大正8年日本女子大学国文学科に入学、上京。しかし作品が「新潮」誌に掲載されたことが大学から問題視され、退学。以後東京と鳥取を行き来する生活がつづく。昭和2年、大学時代に親友となった松下文子n応援で下落合に暮らし始める。このころ林芙美子が自宅を訪ねてくるようになる。主に「女人芸術」誌に作品や映画評を執筆。昭和6年に発表された「第七官界彷徨」が好評を得るが、頭痛止めのミグレニン中毒が悪化し、昭和7年帰郷。その後2年ほどは地元紙などに小文や詩歌を寄せるも、昭和16年に書いた随想を最後に途絶える。昭和40年代に過去の作品が再評価され、書籍化の話が進むなか、昭和46年、74歳で死去。

実質的な活動は10年ほど。でも独特の世界は再発見後、多くの人に(それほどは多くないかもだけど)読み継がれている。

「私は日本の自然主義の手法、考へ方などからすつきりと一廻転した心境文学、触覚文学、そういふものを提供したいと思ひます」
「自然主義的な、ものの考へ方とか手法、あれで日本の文学といふものが非常に腐つたと思ひます。平板です。もう少し新鮮な立体的な文章を欲しいのです」(「女人芸術」座談会からの抜粋)

おべっかを言わず、文学的にも時代に迎合せず、おごることなく、自分の求める世界に没入ししていたのだろう。出版社へ売り込むようなことが苦手で、そういう面では遠回りだったり、世に出るべきものが出なかったりしているのかもしれない。

でも、これら二冊の本で尾崎翠の人生をたどってみて、言えることはひとつ。

やっぱり、作品だけを味わおう。

作家の人となりを知ることでより深く作品世界に入り込めることもあるけど(それも結局は妄想だけど)、尾崎翠の小説は、それだけで十分すぎるほど、個性的で面白い。



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by hey_leroy | 2017-05-19 23:59 | books | Comments(0)

「あの頃」

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『あの頃  単行本未収録エッセイ集 武田百合子 (中央公論新社 2017年)


没後24年にして500ページ超の単行本未収録文集が読めるシアワセ。

本人の遺思とは異なるかもだけど(生前、雑誌などに載せた原稿を本にするときは推敲を重ねていた)、愛娘・花さんの編集なら、きっと納得しているはず。

天衣無縫で、豪快かと思えば繊細で、ビビッドで。。。
人や、景色や、その場の空気の描写には何度となくハッとさせられる。

買ってから、ひと月以上。寝る前に1、2編ずつ大事に読んでいる。
しかも酔った日はムリなので、読み終えるのはまだまだ先になりそう。

それが、うれしい。


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by hey_leroy | 2017-05-17 23:09 | books | Comments(0)

引越貧乏

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『引越貧乏』 色川武大 (新潮文庫 1989年)


大船の古書と立呑みの店、H文庫のカウンターに面出しで置かれていた本。
このゆるやかな破壊力をもった表紙を見過ごすことができず。。。
なにより、色川武大で未読とあらば、即買いです。

私小説というのかな。どれほどの脚色があるのかはわからないけれど、「真実は小説より奇なり」を地でいくような色川武大の人生は、相当に濃ゆい。小説ではもしかして実際より多少薄めにしてあったりして。

小学生のころから学校をサボっては浅草に入り浸り、映画や寄席、芝居小屋を廻る日々。中学は無期停学(内緒でガリ版刷りの同人誌を作ったため)、戦後は呑む打つ買うの無頼の時代を経て編集者、そして作家へ。1929~1989。

この本のキーワードは「50歳」。昭和55年、50歳の誕生日を迎える前後の話題が多い。刊行時期も当初は50歳記念ということだったらしいが、本人の体調不良や遅筆により10年がたってしまった。タイトルの「引越貧乏」を脱稿したのが平成元年1月。その3か月後に急逝。


 丘の端に松の木が一本生えている。少し離れていくらか小ぶりの松がある。たとえば夜半に目覚めた折りなど、そういう絵柄が頭の中に浮かんでくることがある。(中略)
 松は、結局、松でしかなかった。檜でも、樫でもないし、あるいはもっとつまらない雑木にすらなる可能性もない。ただ、おのれのすごした軌跡と、動かしえない現実がそこにあるだけだ。それが、息がつまるほど寂しくせつない。
 もっと若い頃は、こういう折りに浮かんでくる絵柄といったら、やってみたくてもできないことを甘く夢想するとか、その逆に明日はどうなるんだろうとか、望んだり考えたりすることが多くて多彩だったように思う。
 いつの頃からか、絵柄に動きが乏しくなった。そうしてまた、喜怒哀楽の趣きが淡くなった。たいがいのことは大同小異だと思う。そのくせ、自分が自分でしかないことが、なんだか取り返しがつかないことをしたようで面白くない。
 それが、五十歳という年頃だといえるかもしれない。もっとも私は長年の不摂生がたたって心身ともにかなり衰え、爺むさくなっているから、世間の物差と合っているか心もとない。(「心臓破り」より)


あと数か月で50歳を迎える自分。いろいろ考えさせられる。いや、あんまり考えてないな。





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by hey_leroy | 2017-05-15 21:13 | books | Comments(0)

猫だって夢を見る

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『猫だって夢を見る』 丸谷才一 (文春文庫 1992年)


通勤読書に最適な一冊。
その魅力は・・・清水義範さんの解説がもう、その通りすぎるて全部ここに写したいくらいだけれどそうもいかないので引用をかさねることにする。

丸谷才一先生がこの本に書いている類の、随筆というか戯文というか、いわゆるエッセイを読めるというのは、日本人のよろこびのひとつである。こんなに何でも知っていて、次から次へと高度に知的で、それでいて読みやすく、ユーモアも十分にある話をしてくれる人がいるなんて、生きる上での何よりの幸せだからである。

知識というのは表し方のむずかしい芸で、これをひけらかす感じがするのはあまり上品ではない。時には嫌味だったり、うんざりしてしまうこともある。だが丸谷先生の場合、ものすごい知識に裏打ちされた文章が、とても上品で、気持ちよく耳に入ってくるのは不思議なほどである。知の楽しみとはこれだなあ、という気がしてくる。読むことが快感なのである。


・・・引用しては見たけれど、どうも面白さがつたわらないなぁ。
寝酒のお伴に丸谷さんの本が最適だというくだりや、高尚な内容を読みやすくしている文体を解説しているくだりなんて、かなり面白いのになぁ。

あと、和田誠さんによる挿画もあいかわらず、いいんだなぁ。




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by hey_leroy | 2017-05-05 09:36 | books | Comments(0)

尾崎翠おもろ

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『第七官界彷徨 瑠璃色の耳輪 他四篇』 尾崎翠 (岩波文庫 2014年)


以前どこかのネット記事に角田光代さんのインタビューが載っていて、衝撃を受けた小説として、開高健の「輝ける闇」と尾崎翠の「第七官界彷徨」を挙げていた。そのあとに両方読んでみた。開高健のはベトナム戦記もので、これでもかといわんばかりの圧倒的な言葉と内容に打ちのめされた。尾崎翠は「なんじゃ、こりゃ」的な、今まで感じたことのない面白さがあった。そして、角田光代さんの小説はいまだ読んだことがない(随筆はすこし)。

以前読んだ「第七官界彷徨」は図書館で他作家とのオムニバス的な本を借りたものだったので、今回、あらためてじっくりと。

う~、やっぱり面白い!
シュールさ、ユーモア、毒気、愛らしさ。どれもキツすぎることなく、一見やんわりとしているようで、読んでいるとボディブローのように効いてくる。生真面目な文体で、こじれた可笑しみや哀しみが書かれているのが今読むと新鮮なのだ。これが1931年(昭和6年)の作品とは! 乙女小説のはしりか。ある種の少女漫画の原型か。

「第七官界彷徨」の登場人物が他の「歩行」「コオロギ嬢」「地下室アントンの一夜」にもちょっとずつ登場していたりと、連作とまではいかないけど関連性があって、やっぱりまとめて読めるこの岩波文庫があってヨカッタ。


幸田氏の滞在はほんの数日間であったが、この期間を私はただ幸田氏と二人で恋のせりふの交換に費した。私がマルガレエテになると幸田氏は柿を食べているファウストになり、私が街女になると幸田氏は柿をたべているならずものになった。そして氏が何を演ってもつねに柿をたべておしめ籠に腰かけていたのは、私を恥ずかしがらせないための心づかいであった。幸田氏のトランクは戯曲全集でいっぱいだった。けれど私たちの朗読に掛けられない恋の戯曲は、もう1ペエヂもなかったであろう。そしてああ、幸田氏はついに大きなトランク一個とともに次の調査地に行ってしまったのである。(「歩行」より)


内容はまったく伝わらない引用だけれど、なんとなく、なんとなぁく秘めたる面白さが・・・



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by hey_leroy | 2017-05-03 23:56 | books | Comments(0)

さ~て、今号の「はま太郎」は?

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ノリスケです。

5月1日発売の「横濱で呑みたい人の読む肴」こと「はま太郎」第13号。
表紙のモデルは、鎌倉と大船にある古本立呑み酒場、H文庫の店主、N原さん。
先月の花園神社での野外芝居の制作もされたり、多方面で蠢いている方。

はま太郎13号。
数日前、H文庫の大船店にちょいとフライング気味で納品されたのを見つけ購入。
その後呑み歩いて鎌倉店に行ったら、出版元である星羊社さんご夫婦が。
ひさびさ!たのしいお酒になりました。

と、冊子の内容には触れないけど、愉しい一冊であることウケアイ。


もうね、このところblogに文章書くのも面倒で、いろいろスイマセンです!


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by hey_leroy | 2017-05-02 22:14 | books | Comments(0)

荷風入門

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『 荷風語録 』 川本三郎(編)  (岩波現代文庫 2000年)


”永井荷風かく語りき” 的な、いわゆる語録にはあらず。

荷風の執筆時期を、明治・大正~戦前~戦後の3つの時代、日記「断腸亭日乗」に大別し、それぞれの時期の作品を、短編なら全文、長編なら部分的に抜粋してまとめ、時期ごとに、荷風の研究者というか荷風の作品を愛してやまない川本三郎氏が詳しい解説を書いて一冊の本にまとめたもの。

川本三郎さんの文章が好きで、永井荷風の世界にはまだ浸れないまでも興味はあるという自分にとっては、気になる一冊だった。
で、買ったのは何年か前になるのだけど、どうも読み始めから馴染めずに、しばし放置。先日通勤読書用に持ってでたら、あれよあれよと引き込まれて、読了。

おもしろい。 川本氏の解説あってこそ理解できる世界、という気もするけれど、でも、おもしろい。

江戸情緒が濃く残る下町を深くおもいながら、山の手生まれで海外留学もしたエリートいう現実は捨てられず。いや、だからこその軽々しい西洋模倣を嫌悪し、あるべき古き佳き風物をもとめ、歩き、書いたということか。

明治41年に書かれた「深川の唄」が、今の自分にとっては抜群に面白かった。
路面電車が敷設されて数年後の、四谷見附から築地へ向かう電車に乗り、途中新富町でおりて深川へ、という道行き。乗っている人々の容姿、振る舞い、車窓風景。それは今まで「別物」であった山の手と下町をつなぐ物語。

その他、荒川放水路、私娼街・玉の井、カフェーの銀座、オペラ座ありし頃の浅草etc...時代時代の永井荷風が浮かび上がる。

荷風、なんとなく気になる、という人には強くお勧めしたい一冊。

ちょっと知ったかぶりしたい向きにも(笑)



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by hey_leroy | 2017-04-21 21:36 | books | Comments(0)

素白先生の随筆集

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『素湯のような話』 岩本素白 (早川茉莉・編 ちくま文庫 2014年) 

よれよれになった表紙。発売当時に買って、読もう読もうと思いながら、なかなか読み進められず、枕元に積んであったり、カバンの中に入れっぱなしであったり。それが、ここ1週間ほどでガゼン調子が出て、一気に読み終えた。ふぅ~。本との関係では、こういうことはよくある。エンジンがかかるまで、文章に寄り添える感じになるまでの時間。自分に合わないかもなぁと思っても、途中で投げ出すことはできない性分なので、時間がかかるものはけっこうある。何冊かを併読することにもなる。結果、投げ出してる状態の本も、あるっちゃぁ、ある。

岩本素白(1883~1961)は、随筆家であり、早大文学部で教鞭も執っていた人。散歩をこよなく好んだ。それも、風光明媚を求めたり、いわゆる名所を歩いたり、ということにはほとんど興味を示さず、地味でひなびた物や風景に楽しさ、美しさを見出しては文を綴った、

「孤杖飄然」「街頭山水」「荒れた寺と寂しい人々」「素湯のような話」「読我書屋」「板橋夜話」「独り行く」「柳の芽」「京の尼」「山里」「石を探した話」「深夜の水」etc...

これらの随筆のタイトルからして、内容の"ひなび"を物語っている。正直、あまりにも地味で途中で読み進むのがつらくなったほどだ。

この本に「お菓子に散歩に骨董屋」なるサブタイトルをつけた出版社、アザトいなぁと思いつつも、こういう惹句でもなきゃなかなか手に取られないかもしれない、とも。 みすず書房から出ている「素白先生の散歩」の方がなんとなく読みやすい気がする。


机辺に倦んで廊下へ出て見る。まだ素足に冷たい縁側に立って、冬枯れのままの狭い庭を眺める。霜に傷んだ万年青(おもと)の葉の下に、やや黒ずんだ紅い実が、凍てて盛上った茶色の土の上にくずおれて居る。三分の花を付けた老梅のもと、四目垣に干した生ま干の白足袋が、寒むそうに顰め面(しかめつら)をして居る。私はそれをぼんやりと眺める。何の見所もない景色ではあるが、不思議に心が惹かれている。じっと眺めてい居ると、其の老梅の白い乏しい花が、早春の空に一脉の清香を漂わして来る。花は白い中に青みを帯びて居る。(「早春」大正15年)

もう10年位たって読み返すと、より心を打つものがあるかもしれない。







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by hey_leroy | 2017-04-13 18:10 | books | Comments(0)

つなげていく

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『 昭和の店に惹かれる理由 』  井川直子 (ミシマ社 2017年)


本屋で背表紙を眺めながらブラブラ。
目に入った「昭和の店に惹かれる理由」というタイトルに惹かれて手に取る。
そりゃ、気にならないはずがない。ズルい題名。
でもね、たいがい名前負けというか、内容はどうも・・・なことが多い。
個人的好みの幅の狭さもあるんだろうけど。
パラパラめくって、これは、面白そうと思った。
個人的好みの幅の狭さに合致した。

本書で取り上げられたお店は、
とんき(とんかつ)、シンスケ(居酒屋)、鶴八(寿司)、尾張屋(おでん)、
鳥福(焼鳥)、はやし(天ぷら)、スヰートポーヅ(餃子)、田楽屋(炭焼)、
カフェ・ド・ランブル(喫茶店)、Bar ル・ヴェール(バー)
という10店。

著者の取材は、丁寧だ。
店の来し方行く末のこと。なにより大切な今のこと。
それぞれの主の思いを聞き出す。

昔からの仕事を一切変えずに守るのが第一な店。
昔からの仕事を進化させつつ、外目には変わっていないと思わせる店。
昔からの仕事に敬意をはらいつつも、新しいアイディアも取り入れる店。

十店十色。
どれが良い悪いではなく、どれもが正解。

「人は昔から、昔はよかったっていうんです」(シンスケ)
「身の丈以上に抱えこむと、今以下になってしまう」(スヰートポーヅ)
「守りでも攻めでもない。つないでいるんでしょうね」(鶴八)
「前の人から預かって次の人に渡すまではがんばらなきゃいけない」(とんき)
「気づけば、父と同じことをしています」(鳥福)

多くの店の主人が「自分は前の代から次の代へのつなぎ役」と異口同音に話していたのが興味深かった。

読むまで気づかなかったど、田楽屋って鎌倉のあそこか!と、少し驚く。
なんとなく敷居が高いような気がして、まだ入ったことないのだ。
いずれ、きっと。


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by hey_leroy | 2017-04-11 23:13 | books | Comments(0)