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荷風入門

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『 荷風語録 』 川本三郎(編)  (岩波現代文庫 2000年)


”永井荷風かく語りき” 的な、いわゆる語録にはあらず。

荷風の執筆時期を、明治・大正~戦前~戦後の3つの時代、日記「断腸亭日乗」に大別し、それぞれの時期の作品を、短編なら全文、長編なら部分的に抜粋してまとめ、時期ごとに、荷風の研究者というか荷風の作品を愛してやまない川本三郎氏が詳しい解説を書いて一冊の本にまとめたもの。

川本三郎さんの文章が好きで、永井荷風の世界にはまだ浸れないまでも興味はあるという自分にとっては、気になる一冊だった。
で、買ったのは何年か前になるのだけど、どうも読み始めから馴染めずに、しばし放置。先日通勤読書用に持ってでたら、あれよあれよと引き込まれて、読了。

おもしろい。 川本氏の解説あってこそ理解できる世界、という気もするけれど、でも、おもしろい。

江戸情緒が濃く残る下町を深くおもいながら、山の手生まれで海外留学もしたエリートいう現実は捨てられず。いや、だからこその軽々しい西洋模倣を嫌悪し、あるべき古き佳き風物をもとめ、歩き、書いたということか。

明治41年に書かれた「深川の唄」が、今の自分にとっては抜群に面白かった。
路面電車が敷設されて数年後の、四谷見附から築地へ向かう電車に乗り、途中新富町でおりて深川へ、という道行き。乗っている人々の容姿、振る舞い、車窓風景。それは今まで「別物」であった山の手と下町をつなぐ物語。

その他、荒川放水路、私娼街・玉の井、カフェーの銀座、オペラ座ありし頃の浅草etc...時代時代の永井荷風が浮かび上がる。

荷風、なんとなく気になる、という人には強くお勧めしたい一冊。

ちょっと知ったかぶりしたい向きにも(笑)



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by hey_leroy | 2017-04-21 21:36 | books | Comments(0)

素白先生の随筆集

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『素湯のような話』 岩本素白 (早川茉莉・編 ちくま文庫 2014年) 

よれよれになった表紙。発売当時に買って、読もう読もうと思いながら、なかなか読み進められず、枕元に積んであったり、カバンの中に入れっぱなしであったり。それが、ここ1週間ほどでガゼン調子が出て、一気に読み終えた。ふぅ~。本との関係では、こういうことはよくある。エンジンがかかるまで、文章に寄り添える感じになるまでの時間。自分に合わないかもなぁと思っても、途中で投げ出すことはできない性分なので、時間がかかるものはけっこうある。何冊かを併読することにもなる。結果、投げ出してる状態の本も、あるっちゃぁ、ある。

岩本素白(1883~1961)は、随筆家であり、早大文学部で教鞭も執っていた人。散歩をこよなく好んだ。それも、風光明媚を求めたり、いわゆる名所を歩いたり、ということにはほとんど興味を示さず、地味でひなびた物や風景に楽しさ、美しさを見出しては文を綴った、

「孤杖飄然」「街頭山水」「荒れた寺と寂しい人々」「素湯のような話」「読我書屋」「板橋夜話」「独り行く」「柳の芽」「京の尼」「山里」「石を探した話」「深夜の水」etc...

これらの随筆のタイトルからして、内容の"ひなび"を物語っている。正直、あまりにも地味で途中で読み進むのがつらくなったほどだ。

この本に「お菓子に散歩に骨董屋」なるサブタイトルをつけた出版社、アザトいなぁと思いつつも、こういう惹句でもなきゃなかなか手に取られないかもしれない、とも。 みすず書房から出ている「素白先生の散歩」の方がなんとなく読みやすい気がする。


机辺に倦んで廊下へ出て見る。まだ素足に冷たい縁側に立って、冬枯れのままの狭い庭を眺める。霜に傷んだ万年青(おもと)の葉の下に、やや黒ずんだ紅い実が、凍てて盛上った茶色の土の上にくずおれて居る。三分の花を付けた老梅のもと、四目垣に干した生ま干の白足袋が、寒むそうに顰め面(しかめつら)をして居る。私はそれをぼんやりと眺める。何の見所もない景色ではあるが、不思議に心が惹かれている。じっと眺めてい居ると、其の老梅の白い乏しい花が、早春の空に一脉の清香を漂わして来る。花は白い中に青みを帯びて居る。(「早春」大正15年)

もう10年位たって読み返すと、より心を打つものがあるかもしれない。







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by hey_leroy | 2017-04-13 18:10 | books | Comments(0)

つなげていく

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『 昭和の店に惹かれる理由 』  井川直子 (ミシマ社 2017年)


本屋で背表紙を眺めながらブラブラ。
目に入った「昭和の店に惹かれる理由」というタイトルに惹かれて手に取る。
そりゃ、気にならないはずがない。ズルい題名。
でもね、たいがい名前負けというか、内容はどうも・・・なことが多い。
個人的好みの幅の狭さもあるんだろうけど。
パラパラめくって、これは、面白そうと思った。
個人的好みの幅の狭さに合致した。

本書で取り上げられたお店は、
とんき(とんかつ)、シンスケ(居酒屋)、鶴八(寿司)、尾張屋(おでん)、
鳥福(焼鳥)、はやし(天ぷら)、スヰートポーヅ(餃子)、田楽屋(炭焼)、
カフェ・ド・ランブル(喫茶店)、Bar ル・ヴェール(バー)
という10店。

著者の取材は、丁寧だ。
店の来し方行く末のこと。なにより大切な今のこと。
それぞれの主の思いを聞き出す。

昔からの仕事を一切変えずに守るのが第一な店。
昔からの仕事を進化させつつ、外目には変わっていないと思わせる店。
昔からの仕事に敬意をはらいつつも、新しいアイディアも取り入れる店。

十店十色。
どれが良い悪いではなく、どれもが正解。

「人は昔から、昔はよかったっていうんです」(シンスケ)
「身の丈以上に抱えこむと、今以下になってしまう」(スヰートポーヅ)
「守りでも攻めでもない。つないでいるんでしょうね」(鶴八)
「前の人から預かって次の人に渡すまではがんばらなきゃいけない」(とんき)
「気づけば、父と同じことをしています」(鳥福)

多くの店の主人が「自分は前の代から次の代へのつなぎ役」と異口同音に話していたのが興味深かった。

読むまで気づかなかったど、田楽屋って鎌倉のあそこか!と、少し驚く。
なんとなく敷居が高いような気がして、まだ入ったことないのだ。
いずれ、きっと。


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by hey_leroy | 2017-04-11 23:13 | books | Comments(0)

銀座十二章

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『銀座十二章』 池田弥三郎 (旺文社文庫 1980年)

なぜだか、昔日の東京に惹かれる。
大正から戦前までくらいの。

この「銀座十二章」は、銀座四丁目の交差点のそばにあった天婦羅屋「天金」の二男として生まれ、家業は継がずに国文学者となった池田弥三郎(1914~1982)が、生まれ育った銀座について語りつくした一冊。1914年ということは大正3年の生まれ。大正期に物心ついて多感な少年時代を過ごした世代になる。今ではあまり語られることのない時代といえる。

その大正時代について、著者は、明治38年に日露戦争が終結してから大正12年の関東大震災で東京が壊滅してしまうまでの間こそが、明治とも昭和とも違った、別の一時代であったように思われる、と書く。明治39年1月の大山元帥や乃木大将らによる銀座通りの凱旋行進が、古き明治の時代が歩み過ぎ、新しき大正の時代の訪れを告げる象徴的事象であったと思われてならないと。そして、その後、関東大震災の頃までは、日本は欧州の戦争をほとんど部外者として眺めていた時期だった、と。

(著者の思う大正時代が)政治史の大正時代とは、ぴたりと重ならず、少し早めにずれているわけだが、わたしが日露戦争の終結ということを、その時代のはじまりの目安に持ち出してきたのは、わたしなりの理屈がある。それは簡単に言って、国全体、国民全体が、ひとつの目標に向かって歩かせられた時代が、そこで終わったと思うからで、それ以後は、国の意思といったものが、ひとつの目標に向かって、国全体をひっぱっていく、というようなことのない、つまり「国是」というもののない時代がはじまるように思われる。(「十の章 わが銀座の記」より)

明治39年以降、あらたな文芸誌が続々と創刊され、あらたな演劇を担う有楽座が出き、パウリスタやプランタン、ライオンなどのカフェーが開店し、ついでに教育改革も・・・と、文化的に百花繚乱な時代となっていく。著者は、もうひとつ、明治39年から大正12年までの間、ちょうど大学野球の早慶戦が停止していた期間として詳しく書いているのだが、ここでは割愛。

歴史的な出来事の羅列を目にするよりも、その時代に生きた人たちによる日常のエピソードを読む方が、たとえチンプンカンプンな理解にせよ、時代の空気を鮮やかに感じることができる。もちろん想像の範囲ではあるけれど、それが面白い。

そういえば、このごろ、ひとつの目標に向かってとか、国是とか、ときおり目や耳にすることがあるように思うけど、それは自分の気のせいか、、、



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by hey_leroy | 2017-04-11 05:55 | books | Comments(0)

噺と味の歳時記

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『落語長屋の四季の味』  矢野誠一 (文春文庫 2002年)


演劇・演藝評論家、コラムニストの矢野誠一さんによる、
落語と食の歳時記風エッセイ。
国立劇場演藝場のパンフレットに1985~1992年まで連載された
『落語食譜』を季節ごとにまとめた直したもの。
一編につき、ひとつの食材と、それが登場するひとつの噺をとりあげる。
食材の故事来歴や、噺のあらすじ、それらにまつわる著者の軽妙なエピソード。
今は亡き噺家たちの思い出や、昭和のなつかしい食の風景。

著者が参加していた「東京やなぎ句会」の話もちょこちょこ出てきて楽しい。
今やメンバーは著者と柳家小三治と永井啓夫しか残っていない。
小沢昭一、桂米朝、加藤武、入船亭扇橋、永六輔、江國滋・・・
多くが故人となってしまった。

昭和初期や大正を生きた人たちがどんどんいなくなるという事実。
順番だから当たり前のことではあるけど、それでも驚きを隠せない。
いつの間にやら、である。

それはそれとして。

鰻に鯛に蕎麦に饅頭。。。落語にはいろいろな食べ物が登場するけど、
自分がこの本で気になったのは、はんぺん。
落語では志ん生がよく高座にかけた「替り目」に出てくる。
そのはんぺんについて、

京都の十月は「えびす講」で知られているのだが、二十日は恵美須神社にお詣りをして、おかずには「はんぺん」とねぎの炊いたものをつくる習慣がある。はんぺんは、ひとりにひとつずつ丸のままつけて小判に見たて、ねぎは斜めに切って笹に、つまりは「笹に小判」を形どったおめでたいおかずである。

と書かれている。なんだか気になる。食べてみたい。

ちなみに、矢野さんは東京っ子である。


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by hey_leroy | 2017-04-09 22:23 | books | Comments(0)

いきと風流

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『いきと風流 ~日本人の生き方と生活の美学』 尼ケ崎彬
 (大修館書店 2017年)


なにかの書評で知って、面白そうだと思って図書館で借りた本。
ひさしぶりに、ノートをつけながら読む。

和歌における「色好みの演技」が雅(風流)の要素の一つだった万葉の頃。
見た目の派手さ、華美であることを重視した「婆娑羅(ばさら)」。
武家台頭ののちの茶の湯、侘数寄。
江戸に入ってからの風流の世俗化。俳諧、煎茶の流行。
上方の「すい(粋)」と江戸の「いき(意気)」。
江戸独自の文化の成熟と町人の価値観の席巻。
いき、野暮、半可通。
「隠された美」の賞賛。

「風流」と「いき」の変遷を俯瞰して考察した本。
おもしろいなぁ。

感じたこと、書きたいことはたくさんあるけど、
ブログに向けるパワーがなくって。
いましばらく、備忘メモで。

言葉はナマモノなんだなぁとあらためて思う。
流行、政治・経済、文化、いろんなものが混ぜ合わさって時代がつくられ、彩られる。

高校の時に課題で読んだ「いきの構造」(九鬼周三)も、なぁんも覚えてないので、もう一度読んでみよう。






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by hey_leroy | 2017-03-30 22:02 | books | Comments(0)

かぼちゃを塩で煮る



気づけば、すっかり "呑兵衛&くいしん坊" な日記になってるけど。
まぁ、よいです。
そして今日も。

くいしん坊におすすめの一冊を。


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『 かぼちゃを塩で煮る 』  牧野伊三夫 (幻冬舎 2016年)


絵描きで、美術同人誌「四月と十月」同人で、北九州や飛騨、大分日田などの町の活性化にも取り組む人。
著作は「今宵も酒場部」(共著)、「僕は、太陽をのむ」に続いて三作目。
去年「僕は、太陽をのむ」が刊行されたときには、大船での出版記念イベントにもいった。
坂田明さんのサックスとのセッション・ドローイング。司会は岡崎武志さんだった。

本書は満を持して(?)全編、食のこと。
おもに、自分で台所に立ってつくる料理のこと。
簡単な酒の肴だったり、南米や南仏の郷土料理だったり、
大鍋での煮込み料理だったり。

著者が九州男児だから、というのはこちらの先入観かもしれないが、
「丹田に力が入っている」というか「腰が据わっている」というか、
一食一食をおろそかにしないストイックさと、
それを楽しもうという大らかさが、文章を覆っている。
基本、アトリエに籠って制作するという毎日なのだから、食事の時間が大切になってくるのは当然だろうなと思う。
毎朝、奥さんと2時間ほど散歩をして、軽い朝食の後はその日の昼食と夕食の献立を決める会議が執り行われ、献立を書いた紙が台所に貼られると、安心してアトリエに入ってゆくんだそうな。

それにしても、読んでいると生唾が出てくる。
夕食の食卓の傍らには、七輪に赤く熾った炭火が。
夏は羊肉やとうもろこしが焼かれ。冬には鶏鍋や湯豆腐の小鍋がのる。
そこでゆっくり時間をかけての晩酌と夕餉。

子供のころの思い出。旅先での忘れられぬ味。
随筆でありながら、書いているうちについついその料理の作り方も紹介したくなってきて・・・という感じ。
無骨なようで、ゆずれない拘りも大事にしていて。
魅力的で真似してみたくなるものが多い。

そのほか、嫌々行った断食合宿で開眼したり、ビジネスホテルの簡易な設備でどれだけ充実した調理ができるか研究したり、といった話も面白い。

うむ。
ということで、くいしん坊におすすめの一冊、です。



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by hey_leroy | 2017-03-07 08:35 | books | Comments(0)

食べる私

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『 食べる私 』 平松洋子 (文藝春秋 2016年)


食や本についての随筆を多く著す平松さんの、29人の相手との対話集。

デーブ・スペクター、林家正蔵、ハルノ宵子、黒田征太郎、ヤン・ヨンヒ、伊藤比呂美。ギャル曽根、美木良介、土井善晴、辻芳樹、安藤優子、堀江貴文、大宮エリー、松井今朝子、ジェーン・スー、渡部健、光浦靖子、高橋尚子、吉田秀彦、高橋大輔、田部井淳子、山崎直子、畑正憲、小泉武夫、服部文祥、宇能鴻一郎、篠田桃紅、金子兜太、樹木希林。

濃ゆい人選。濃ゆい話。
平松さん、聞き上手、引き出し上手。
「食べてうまかったもの」の話の羅列ではない。
登山家、冒険家、アスリートにとっては食は命綱のようなものだし、
年配者にとって戦中戦後の食事情は人生・人生観に大きく影響している。
食に無関心な人もいれば、食を仕事にしている人もいる。
人それぞれの食に対する思い。


食べものについて語れば、人間の核心が見えてくる。
その理由はとても簡単だ。食べることは、生きること。生きとし生けるものは、食べる行為から逃れることはできない。何を食べるか、誰とどう食べてきたか、何を食べないか、食べてこなかったか。食について思考をめぐらせる言葉はみずからの生の証しである。そして紡ぎだされるのは、血沸き肉躍る自由と放浪の物語だ。(「食べる私 あとがきに代えて」 より)


宇能鴻一郎の謎に満ちた絢爛な暮らし。
金子兜太の、食物に対しては全部「通過儀礼」であり、無政府状態。無感覚というのじゃなく、食べ物を管理する政府が自分の中にない。という言葉。
樹木希林が言った、「食べることには可笑しさがありますよね。食べものは、そのときどき、状況ひとつでおいしくもなれば、逆もある。あのとき、あの人がこう言った、ああ言った、いろんな記憶がつきまとうからこそ、食べものは忘れられないものになるのだと思います」ということ。

平松さんの強い好奇心と幅広い知識、それを元に相手に的確な言葉を投げかける瞬発力。
あいかわらず繊細さと骨太さ、漢気までを感じさせてくれる。
笑って、考えさせられて、グッと感じ入る。
読み応えある一冊。



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by hey_leroy | 2017-03-04 20:33 | books | Comments(0)

ダウナー


強風。突風。
我が家から、でかけられず。
休みでよかった。

目下、気力・体力ともに低下中。
気圧の所為か?
春の嵐だからか?
と、それらしいことを思ってみたりするが、そんなに繊細ではない。

もろもろクールダウンして、整えよう。そうしましょ。


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池澤夏樹の個人編集による日本文学全集。河出書房新社。
第一巻の古事記は、池澤夏樹当人による現代語訳。

イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノヲ、ヤマトタケル、
サルダヒコ、ヤマタノオロチ、イナバの白兎・・・

ダウナーな気分の時は無理をせず、
主要なエピソードを拾い読み程度に。

というか、元気な時でもこれを通読するのはキビシイぞ。

天皇家の権威を日本全国に示すための政治的な系譜の羅列。
そこに人間くさい争いや恋愛のエピソードも混在して。
エンタメ感も堪能できる。


謙虚に耳をすませて古代の声を聴く、そのような態度で古事記に向き合うと、現代に生きるわたしたちは、時にとまどいながらも、さまざまなことを教えられる。神話は、古代の人びとにとって、哲学であり、教訓であり、歴史であり、科学であり、規範であり、そして何よりもたのしい文学であった。あらゆることを神話に教えられて生きる、神話に耳を傾け、そして語り継ぐという営みは、そのような行為としてあったのだ。(三浦佑之による解説より)


また読みたくなったら図書館から借りてこよう。



まずは、クールダウン。








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by hey_leroy | 2017-02-20 20:50 | books | Comments(0)

酒肴は手軽にうつくしく


肴はあぶった烏賊でいい~~♪

・・・ときもあるけど。


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『 火を使わない酒の肴 』  鈴木登紀子 (文化出版局 1989年)


古本屋の店先に無造作に置かれてた一冊。
表紙も中身も昭和風情。
1989年といえば昭和64年であり平成元年。

手は込んでないけど、さりげなく気が利いてる酒肴たち。
包丁の入れ方、盛り付け方なんかも軽く指南してくださったり。

50ページほどの小冊子風なのが、また良い感じで。
カラーページとモノクロページ半々というのも、今にしてみると味がある。

かまぼこ、ちくわ、豆腐。
うに、イクラ、まぐろ。
大根、トマト、エンダイブ。
ハムに漬物、缶詰瓶詰。

身近な食材で見目涼しげな一皿。

烏賊の磯辺づくりとか、美味しそう。
コンビーフおろしとか、想像つかない。

今後の晩酌の参考書になることでしょう。
・・・いまはちょっと家呑み抑え目だけど。




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by hey_leroy | 2017-02-05 23:02 | books | Comments(0)