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「いのち」のこころだぁ


8月15日。 恒例。
今年も、小沢昭一さんの文章をのせます。 
自分の書く文章も、ほぼ、昨年のコピペです。

この1年の間に、野坂昭如さんも永六輔さんも旅立ち、「花の中年御三家」は全員鬼籍に入られた。
生の声で戦争体験を伝えてくれる語り部は当然のことながらいなくなっていく。

小沢さんが遺した文章は、飄々としたユーモアや軽妙な文体というオブラートでやわらかく包まれながらも、毅然とした思いが伝わってくる貴重なものだと思っている。 

1993年、いまから23年前の文章。
昨日書かれたと言われても違和感がないというか、より胸に迫りくるものがある。
自分の気持ちは1年前やその前の年と同じでいるつもりだけど、ここでまた紹介することを一瞬どうしようかなと考えてしまうのは、ご時世の方が変わってきている、という証左になるんだろうな、やっぱり。



「いのち」

 私は昭和ヒトケタ生まれです。あの時代は、実は戦争前夜だったのですが、子供にとっては平和な毎日でした。小学生、中学生の頃は戦争のまっ只中。軍国少年としてはやがて軍隊の学校へ。そして間もなく敗戦。焼け出されの丸裸の青年時代を焦土にすごし、そして平和日本を働き抜いて、いま、その平和に、なにやら不安を感じております。
 激動の昭和から平成へと生きて、私、つくづく思いますことは、この世の中、ものの善し悪しは、なかなかオイソレとは判定しにくいもの、という実感ですが、しかし、そんななかで、たった一つ、これだけは、と確信の持てたことは、人間の「いのち」は何にもまして尊いということであります。
 けれどもこれは、幼少の頃から、♪ 海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・で、てんから"屍要員"として育てあげられ、そして、紙一重の差で死なずに生きてこられた私たちであればこそ、「いのち」の大切さを身にしみて思うのかもしれません。この頃は「いのち」の尊重を痛感するあまり、蚊も打たずに逃がしたりして、しかしこれは一種の老化現象かな、なんて思ったりしていますが・・・。
 じっさい、何が「いのち」を粗末にするといって、戦争ほど、人間の「いのち」を軽く見るものはなく、もう無残にも「いのち」は踏みつぶされ蹴散らかされるのです。
 でも、そのことに、私たちは、あの戦争に負けた時に、はじめて気がついたのです。あの時、不思議と頭の中がスーッと澄んで、モノが実によく見えました。あれは、多くの「いのち」を失った代償だったのでしょう。私たちは、それまでの無知を恥じ、もうコンリンザイ戦争はごめんだと思ったものです。「戦争放棄」の憲法は、アメさんから押しつけられたにせよ何にせよ、あの時、日本人の皆が、ごく自然に、素直に、そうだ、それが一番いいと、心底、納得したことだったのです。
 だから、世の中の、大抵のことは、何がどうなってもいいから、戦争だけはごめんこうむりたい、「戦争放棄」だけは守り抜きたいという、これが、私の人生で、たった一つだけ出た明白な結論です。人間、長い人生の間には、考え方も少しずつ変化するものですが、この考えばかりは変わりませんでした。
 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘る」ですか、このごろ「憲法見直し論」がチラホラ顔を出してきて、私はとても心配です。いえ、見直しも結構ですが、第九条ばかりは、そのまま、そのまま、でありますよ。
 「戦争放棄」は、政治に哲学がないなんていわれる日本が、唯一、世界に先がけて打ち出した、まことに先見性のある政治思想と思われるのでありまして、この、百年か二百年先の時代にツバをつけた新思想を、なんとか保持したいものです。世界の先頭切ってやっていることですから、そりゃいろいろ障害も出てきましょう。そこを何とかやりくりするのが先駆者のつらいところで、それを、ほんの五十年ぐらいで取り下げちゃいけません。
 戦争は病気と同じです。病気はかかったらもうおそい。かかりそうになったら、でもおそい。それよりふだんの、かかる前の予防が大切だとお医者に教わりました。
 戦争も、私たちはよく知ってますが、はじまってしまったらもちろんのこと、はじまりそうになったら、もう止められません。戦争のケハイが出ても、もうおそいのです。ケハイの出そうなケハイ、その辺ですぐつぶしておかないと・・・つまり、戦争は早期予防でしか止められません。しかも、その戦争のケハイなるものが、判りにくく、つかみにくいのです。戦争の反対は平和ですが、平和のための戦争、と称えるものもありますしね。いえ、おかしなことに、いつもそうなんです。あの戦争の時も、
 ♪ ・・・東洋平和のためなら、なんの、いのちが惜しかろう (「露営の歌」)
 と、毎日歌って戦いました。ですから「国際貢献」「国際協力」「世界平和を守るため」というのも、こわいケハイです。 ♪ 国際貢献のためならば、なんの、いのちが惜しかろう・・・ということにならないように、なんとしても、予防しなくては!
 私、ひごろ、澤地久枝さんを、わが世代の代弁者と思っておりますので、その著『いのちの重さ ――声な喜き民の昭和史』 (岩波ブックレット)から、次の言葉を引いて、この小文を止めます。

 ――「いのちの重さ」を確め、守ろうとするのは、かつて日本の政治によって、いかにも軽く扱われた日本人と他国の人々を考えるからです。
 ――「はじめにいのちありき」であり、最後に守らるべきものもいのちです。いのちに国境なしです。

 愚考しますに、「はじめにいのちありき」を「国境」をこえて「他国」へ訴えることの方が、「国際貢献」ではないでしょうか。


  (『話にさく花』 (文春文庫)収録。初出=文藝春秋 『同時代ノンフィクション選集』 第七巻月報 1993年5月) 
     
 

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by hey_leroy | 2016-08-15 00:00 | days | Comments(0)

むかし噺 うきよ噺


先日の銚子へのいきかえりで読んだ本。


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『 むかし噺 うきよ噺 』  小沢昭一 (新潮文庫 1998年)


小沢昭一の文章は、自分にとって鎮静剤のようなものだ。
薬が必要なほど昂ることがあるかといわれれば、否とこたえるけど。

車窓の田園風景にたまに目をやり、ビールやポケットウイスキーをちびちび啜り、
小沢昭一の文庫本の頁を繰るシアワセ。

ラジオでの名調子そのままのおしゃべり文体のエッセイ集。
大胆だけど慎ましやかで、可笑しくてやがてしみじみ。

子供の頃の遊びの思い出。
オトナになってからのアソビの思い出。
映画やラジオの仕事のこと。
昔ながらの芸能のこと。俳句のこと。
職人の手仕事のこと。

和田誠のイラストも楽しい。


『でも、きっと追跡します。ええ、調べますとも。私の趣味、楽しみは、ゴルフでも酒でもなく、この世に消えたもの、オチメのもの、それ専門に追っかける”失せもの探し”あそび。』

オブラート工場をたずねたり、歓楽街・金津園の由来を新幹線に乗って調べに行ったり。
他の本では、昔懐かしい赤くて酸味の効いたハヤシライスを求めて彷徨ったり。
「日本の放浪芸」以外にも、いろいろと探求する旅はつづきます。

『少年時代のよみがえる時、私は生き甲斐すら覚えるタチの男なんです。いうなれば”少年時代オタク”。ウン、私にも、イイ年して、夢中になれることがあるじゃありませんか。』 

そう。そんな小沢さんの文章にちょいちょい触れることが、自分の暮らしの肥やしにもなっているのです。

しばらくは、昭和から明治、さらには江戸のおもかげを追う読書がつづきそう(枕元に積んであるラインナップが・・・)。



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by hey_leroy | 2016-08-09 08:29 | books | Comments(0)

いのちのこころだぁ

8月15日。

数年来、この日は小沢昭一さんの文章をのせている。
やわらかく、毅然と時代の空気を伝えてくれる貴重な存在である。
それは亡くなられた今も変わらない。
戦争体験を直接教えてくれる語り部は当然のことながらいなくなってゆく。
語り部二世である自分たちがどう伝えてゆくのか。
責任は大きい。

去年と同じ文章をのせます。
1993年、いまから22年前の言葉ながら、昨日書かれたと言われても違和感がないというか、より胸に迫るものがある。自分は1年前と同じ気持ちでいるつもりだけど、この文章をのせることについて政治的な意見とみられるのかなぁとか一瞬考えてしまうのは、ご時世の方が変わってきている、ということになるんだろうな、やっぱり。




「いのち」

 私は昭和ヒトケタ生まれです。あの時代は、実は戦争前夜だったのですが、子供にとっては平和な毎日でした。小学生、中学生の頃は戦争のまっ只中。軍国少年としてはやがて軍隊の学校へ。そして間もなく敗戦。焼け出されの丸裸の青年時代を焦土にすごし、そして平和日本を働き抜いて、いま、その平和に、なにやら不安を感じております。
 激動の昭和から平成へと生きて、私、つくづく思いますことは、この世の中、ものの善し悪しは、なかなかオイソレとは判定しにくいもの、という実感ですが、しかし、そんななかで、たった一つ、これだけは、と確信の持てたことは、人間の「いのち」は何にもまして尊いということであります。
 けれどもこれは、幼少の頃から、♪ 海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・で、てんから"屍要員"として育てあげられ、そして、紙一重の差で死なずに生きてこられた私たちであればこそ、「いのち」の大切さを身にしみて思うのかもしれません。この頃は「いのち」の尊重を痛感するあまり、蚊も打たずに逃がしたりして、しかしこれは一種の老化現象かな、なんて思ったりしていますが・・・。
 じっさい、何が「いのち」を粗末にするといって、戦争ほど、人間の「いのち」を軽く見るものはなく、もう無残にも「いのち」は踏みつぶされ蹴散らかされるのです。
 でも、そのことに、私たちは、あの戦争に負けた時に、はじめて気がついたのです。あの時、不思議と頭の中がスーッと澄んで、モノが実によく見えました。あれは、多くの「いのち」を失った代償だったのでしょう。私たちは、それまでの無知を恥じ、もうコンリンザイ戦争はごめんだと思ったものです。「戦争放棄」の憲法は、アメさんから押しつけられたにせよ何にせよ、あの時、日本人の皆が、ごく自然に、素直に、そうだ、それが一番いいと、心底、納得したことだったのです。
 だから、世の中の、大抵のことは、何がどうなってもいいから、戦争だけはごめんこうむりたい、「戦争放棄」だけは守り抜きたいという、これが、私の人生で、たった一つだけ出た明白な結論です。人間、長い人生の間には、考え方も少しずつ変化するものですが、この考えばかりは変わりませんでした。
 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘る」ですか、このごろ「憲法見直し論」がチラホラ顔を出してきて、私はとても心配です。いえ、見直しも結構ですが、第九条ばかりは、そのまま、そのまま、でありますよ。
 「戦争放棄」は、政治に哲学がないなんていわれる日本が、唯一、世界に先がけて打ち出した、まことに先見性のある政治思想と思われるのでありまして、この、百年か二百年先の時代にツバをつけた新思想を、なんとか保持したいものです。世界の先頭切ってやっていることですから、そりゃいろいろ障害も出てきましょう。そこを何とかやりくりするのが先駆者のつらいところで、それを、ほんの五十年ぐらいで取り下げちゃいけません。
 戦争は病気と同じです。病気はかかったらもうおそい。かかりそうになったら、でもおそい。それよりふだんの、かかる前の予防が大切だとお医者に教わりました。
 戦争も、私たちはよく知ってますが、はじまってしまったらもちろんのこと、はじまりそうになったら、もう止められません。戦争のケハイが出ても、もうおそいのです。ケハイの出そうなケハイ、その辺ですぐつぶしておかないと・・・つまり、戦争は早期予防でしか止められません。しかも、その戦争のケハイなるものが、判りにくく、つかみにくいのです。戦争の反対は平和ですが、平和のための戦争、と称えるものもありますしね。いえ、おかしなことに、いつもそうなんです。あの戦争の時も、
 ♪ ・・・東洋平和のためなら、なんの、いのちが惜しかろう (「露営の歌」)
 と、毎日歌って戦いました。ですから「国際貢献」「国際協力」「世界平和を守るため」というのも、こわいケハイです。 ♪ 国際貢献のためならば、なんの、いのちが惜しかろう・・・ということにならないように、なんとしても、予防しなくては!
 私、ひごろ、澤地久枝さんを、わが世代の代弁者と思っておりますので、その著『いのちの重さ ――声な喜き民の昭和史』 (岩波ブックレット)から、次の言葉を引いて、この小文を止めます。

 ――「いのちの重さ」を確め、守ろうとするのは、かつて日本の政治によって、いかにも軽く扱われた日本人と他国の人々を考えるからです。
 ――「はじめにいのちありき」であり、最後に守らるべきものもいのちです。いのちに国境なしです。

 愚考しますに、「はじめにいのちありき」を「国境」をこえて「他国」へ訴えることの方が、「国際貢献」ではないでしょうか。


  (文藝春秋 『同時代ノンフィクション選集』 第七巻月報 1993年5月)
   = 『話にさく花』 (文春文庫)
      『せまい路地裏も淡き夢の町 小沢昭一百景 随筆随談選集2』 (晶文社) 収録
 
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by hey_leroy | 2015-08-15 07:30 | days | Comments(2)

芸の世界に触れるのだ、の巻

芸人・芸能に関する本を3冊。 登場するほとんどが名前も知らない古い芸人さんたち。
でも、楽しく読めた。 面白うて、やがて哀しき・・・

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『 色川武大・阿佐田哲也エッセイズ2 ~芸能~ 』  (ちくま文庫 2003年)
 「放浪」「芸能」「交遊」からなるエッセイズの第2巻。この「芸能」では、さらに芸人・唄・映画の三つの章にわけられている。小学生の頃から寄席に出入りし、戦時下の中学生時代には浅草を中心としたアチャラカ・軽演劇にどっぷりはまって過ごした色川武大。思い出に残る噺家、喜劇人、国内外の歌い手や映画の話。エノケン・ロッパ・金語楼・文楽・志ん生ほか有名な人から、今となっては振り返られることのない芸人まで。その多くは、今では映像はもちろん写真すらほとんど残っていない。 それにしても、おそろしい程の記憶力。そして、いきいきとした描写。時代の空気もビシビシと伝わってくる。 アンソロジーではなくて、大元の「あちゃらかぱいっ」、「寄席放浪記」、「なつかしい芸人たち」といった著作から読まなくては、と思う。


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岩波現代文庫からの2冊。

『 芸人 その世界 』  永六輔 
 もともとは1969年に出版された本。 古今東西の芸人の逸話をひたすらに収集してある。 永六輔は著者というよりは編者のような存在か。 芸人たちの奇行、言動、見栄、プライド、屈辱、下半身、生い立ち、死に際・・・芸談からゴシップまで。 多く取り上げられているのは江戸~明治あたりの歌舞伎役者であろうか。華やかな人気商売でありながらも、もともとの出自は賤民・河原乞食であるとされる役者稼業。 屈辱感や諦念をあわらしているエピソードも多い。 もちろん、可笑しい話、スケールの大きな話、突拍子のない話も。
「神田好山、占いで長生きは出来ないといわれたが、三年間の保証はつけられた。三年は大丈夫という占い師の面当てにその翌日自殺。「ざまァみろ、手前の占いは当らねェ」という遺書まであった。一龍斎貞鳳の本の中のエピソード。」
神田好山。講釈師かな?・・・なにもこの一つを選ぶこともないんだけども。


『 私は河原乞食・考 』  小沢昭一 
 私淑する小沢昭一さんの最初の本。↑ の「芸人 その世界」と同じく1969年が初出。これが力作。僕なんかがいうことではないけど、卓越した文章だと思うわぁ。後年の語り口調の文体はまだ見られない。
 「はだかの周辺」、「愛敬芸術」、「ホモセクシャルについての学習」の三章が中心となっている。 ストリップ、大道での物売り口上、見世物小屋、伝統芸能と男色、現在のホモセクシャル事情。。。 芸能とは何か。芸人とは何者か。小沢昭一が役者としてのアイデンティティーを探る。そこにはやはり河原者、被差別民であった先達の姿が重なる。・・・少くとも、この本が書かれた1969年ではまだ幾分影を落としていると言える。この本を書いたことがきっかけとなり、「日本の放浪芸」という大仕事へとつながっていく。
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by hey_leroy | 2015-03-16 17:07 | books | Comments(0)

2年のこころだァ

小沢昭一さんが83歳で亡くなって、今日で2年。
俳優、文筆家、ラジオパーソナリティ、歌手、ハモニカ奏者、俳人、芸能研究家、エロ探求家・・・。

昭和4年生まれ。
もっとも多感な少年・青年期に戦争が始まり、終わった。
価値観やら何やら、とにかく180度変わるのを目の当たりにした。
軍国少年は、とにかく戦争が嫌いなおじさんになった。
・・・はしょりすぎてるけど。

学者や小説家の肩肘張った文章でなく、語りかけるような小沢さんの言葉は、
笑いのベールで包みつつ、時に辛辣なメッセージとなっている。
時代の語り部として大きな存在だったし、
文章は、これからも人目に付くところに残しておかなきゃいけないと思う。

「戦争ってものは、なっちゃってからでは止められません。なりそうなときでも駄目。
なりそうな気配が出そうなときに止めないと」

とくりかえし書いたりしゃべったりしていた小沢さん。
亡くなってからの2年で、ずいぶんと「気配が出そうな」ケハイ・・・いや、そんなもんじゃないか。

あちらの世界で憂いてらっしゃるか、はたまた呆れ笑いか。
選挙も近いこの時期。 いろいろ考えないといけませんな。

さて。 今夜は帰ったら、ビデオを見よか、本を読もか。
・・・いや、朗読CD「楢山節考」を聞こう。
小沢昭一が読む、深沢七郎の姨捨物語。
静かな迫力。おかしみと哀しみ。
図書館に置いてあることも多いので、ぜひ広く聞いていただきたいものです。
もちろん書店でも売ってます。
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『楢山節考』 深沢七郎著 小沢昭一朗読 (新潮社 2009年)
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by hey_leroy | 2014-12-10 08:07 | days | Comments(0)

「いのち」のこころダァ~ (ラジオ「小沢昭一的こころ」風)

ここ数年、8月15日には小沢昭一さんの文章を載せています。
俳優、ラジオDJ、歌手、俳人、ハーモニカ奏者、文筆家、芸能研究家、ト○コ研究家・・・。
一昨年の師走に亡くなられたけれど、小沢さんが心配していたことが現実になりつつあるこの頃。
以下、20年前の1993年に書かれた文章です。 ちと長いですが。
学者や評論家でない、その時代を生きた人の生身の声。
思いは人それぞれだろうけど、胸に刻んでおきたい。



「いのち」

 私は昭和ヒトケタ生まれです。あの時代は、実は戦争前夜だったのですが、子供にとっては平和な毎日でした。小学生、中学生の頃は戦争のまっ只中。軍国少年としてはやがて軍隊の学校へ。そして間もなく敗戦。焼け出されの丸裸の青年時代を焦土にすごし、そして平和日本を働き抜いて、いま、その平和に、なにやら不安を感じております。
 激動の昭和から平成へと生きて、私、つくづく思いますことは、この世の中、ものの善し悪しは、なかなかオイソレとは判定しにくいもの、という実感ですが、しかし、そんななかで、たった一つ、これだけは、と確信の持てたことは、人間の「いのち」は何にもまして尊いということであります。
 けれどもこれは、幼少の頃から、♪ 海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・で、てんから"屍要員"として育てあげられ、そして、紙一重の差で死なずに生きてこられた私たちであればこそ、「いのち」の大切さを身にしみて思うのかもしれません。この頃は「いのち」の尊重を痛感するあまり、蚊も打たずに逃がしたりして、しかしこれは一種の老化現象かな、なんて思ったりしていますが・・・。
 じっさい、何が「いのち」を粗末にするといって、戦争ほど、人間の「いのち」を軽く見るものはなく、もう無残にも「いのち」は踏みつぶされ蹴散らかされるのです。
 でも、そのことに、私たちは、あの戦争に負けた時に、はじめて気がついたのです。あの時、不思議と頭の中がスーッと澄んで、モノが実によく見えました。あれは、多くの「いのち」を失った代償だったのでしょう。私たちは、それまでの無知を恥じ、もうコンリンザイ戦争はごめんだと思ったものです。「戦争放棄」の憲法は、アメさんから押しつけられたにせよ何にせよ、あの時、日本人の皆が、ごく自然に、素直に、そうだ、それが一番いいと、心底、納得したことだったのです。
 だから、世の中の、大抵のことは、何がどうなってもいいから、戦争だけはごめんこうむりたい、「戦争放棄」だけは守り抜きたいという、これが、私の人生で、たった一つだけ出た明白な結論です。人間、長い人生の間には、考え方も少しずつ変化するものですが、この考えばかりは変わりませんでした。
 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘る」ですか、このごろ「憲法見直し論」がチラホラ顔を出してきて、私はとても心配です。いえ、見直しも結構ですが、第九条ばかりは、そのまま、そのまま、でありますよ。
 「戦争放棄」は、政治に哲学がないなんていわれる日本が、唯一、世界に先がけて打ち出した、まことに先見性のある政治思想と思われるのでありまして、この、百年か二百年先の時代にツバをつけた新思想を、なんとか保持したいものです。世界の先頭切ってやっていることですから、そりゃいろいろ障害も出てきましょう。そこを何とかやりくりするのが先駆者のつらいところで、それを、ほんの五十年ぐらいで取り下げちゃいけません。
 戦争は病気と同じです。病気はかかったらもうおそい。かかりそうになったら、でもおそい。それよりふだんの、かかる前の予防が大切だとお医者に教わりました。
 戦争も、私たちはよく知ってますが、はじまってしまったらもちろんのこと、はじまりそうになったら、もう止められません。戦争のケハイが出ても、もうおそいのです。ケハイの出そうなケハイ、その辺ですぐつぶしておかないと・・・つまり、戦争は早期予防でしか止められません。しかも、その戦争のケハイなるものが、判りにくく、つかみにくいのです。戦争の反対は平和ですが、平和のための戦争、と称えるものもありますしね。いえ、おかしなことに、いつもそうなんです。あの戦争の時も、
 ♪ ・・・東洋平和のためなら、なんの、いのちが惜しかろう (「露営の歌」)
 と、毎日歌って戦いました。ですから「国際貢献」「国際協力」「世界平和を守るため」というのも、こわいケハイです。 ♪ 国際貢献のためならば、なんの、いのちが惜しかろう・・・ということにならないように、なんとしても、予防しなくては!
 私、ひごろ、澤地久枝さんを、わが世代の代弁者と思っておりますので、その著『いのちの重さ ――声な喜き民の昭和史』 (岩波ブックレット)から、次の言葉を引いて、この小文を止めます。

 ――「いのちの重さ」を確め、守ろうとするのは、かつて日本の政治によって、いかにも軽く扱われた日本人と他国の人々を考えるからです。
 ――「はじめにいのちありき」であり、最後に守らるべきものもいのちです。いのちに国境なしです。

 愚考しますに、「はじめにいのちありき」を「国境」をこえて「他国」へ訴えることの方が、「国際貢献」ではないでしょうか。


  (文藝春秋 『同時代ノンフィクション選集』 第七巻月報 1993年5月)
   = 『話にさく花』 (文春文庫)
      『せまい路地裏も淡き夢の町 小沢昭一百景 随筆随談選集2』 (晶文社) 収録
 
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by hey_leroy | 2014-08-15 07:27 | books | Comments(0)

私の青空

『私の青空』  小沢昭一

「青空、と訊かれて、僕がいつも思うのは、終戦のときの空。実際には、何も終戦の日だけ、特別に天が空を青くしたわけじゃない。戦争中も凄い青空だった。それこそB29がやってくると真っ白な飛行機雲が伸びて・・・。
 でも、なぜか8月15日と青空を結び付けているのは、やはりあのときほど心が解き放たれたことがなかったからだと思う。
 体験のない人にはどんなに言葉を尽くしてもわからないだろうが、電気の明かりさえ見えない時代だった。空襲を避けるために、窓を密閉して明かりが洩れないようにする。さらに電球には黒い布をかけて、本当にその真下だけ、わずかにほの明るいような。そういう統治下で、じっと息を潜めて、それでも何とか生きようとみんな頑張っていた。
 そんな閉塞された生活から開放されて、まっ暗な焼け跡に裸電球がポッと点ったとき、もう本当に拝みたいような気持ちだった。いまでも、知らない町で人家の窓明かりがポッと見えると、心が濡れる思いがする。空の色も同じで、「抜けるようないい青空」というのは「ああ、平和になったんだ。戦争は終わったんだ」という象徴なのだろう。
 僕の心のなかにある青空は、正確にはあのときの色ではないような気もする。あの解放感のなかで見た色に、自分の考えや憧れをどんどん塗り重ねていって、絵の具が厚くなった油絵みたいな空ができあがっているようだ。けれどいまもその青さを実感できるのは、やはり心が開放されていてこそなのだろう。」
(小沢昭一「空をみるこころ」より抜粋。『なぜか今宵も ああ更けてゆく』(晶文社)に収載)



去年の8月15日の日記にも同じ文をのせたけど。 今年も。
小沢さん、去年の今頃はまだラジオの「小沢昭一的こころ」をやっていたんだった。
その後9月に体調不良で番組をお休みし、12月10日に帰らぬ人となった。


「戦争になりそうな気配がでてきたとき もう遅いみたいですね 私どもの経験からしますと 戦争になりそうな気配のケハイがでてきたとき やっぱり声をそろえて「もうやめよう 頑張らないと」と あれは(戦争)結局人殺し大会ですからね 早いはなしが えぇ 腹の底から 私 おおげさにいえば憲法改正とか そういうのが近づいているような 噂も耳にしますが なにがどうなっても なんとかしのいでやっていけるけど 「だけど 戦争だけはもうお断りだ」ほかはどうなっても そういうふうにこの頃 腹の底からいいたいですね。」
(2006年3月、江東区で開かれた「東京大空襲を語り継ぐ会」より)



小沢さんが亡くなってから8か月。政局もめまぐるしく動いている。
いまの日本の姿を見たらどう思うだろうか。
心を痛ませているか・・・にんまりしながら「ほら言わんこっちゃない」と呆れているか。


「戦争ってものは、なっちゃってからでは止められません。なりそうなときでも駄目。なりそうな気配が出そうなときに止めないと」


以前は身近にいた歴史の語り部は本当に少なくなってしまった。「戦争だけは絶対に嫌だ」という思いは実際に経験した人が言うからこそ重みをともなって伝わる。



* * * * *


今日は仕事帰りに横浜のスタジオで個人練習。
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いろいろと重なるときには重なるものです。
家だと遅い時間に吹けないし・・・ちょっとお尻に火がついてる感じ?
ありがたいことと思いつつ。
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by hey_leroy | 2013-08-15 23:59 | days | Comments(0)

5月3日

今日はアレの記念日ですけども。 とくに伏せ字にすることもないですけども。

いきおいに乗ってるというか調子にノッてるというか、前の選挙で大勝ちしたとこがアレをどぅにかこぅにかするなんて鼻息荒く言っておりますが。 世間は「ま、いっか」てな感じで見守っているのでしょうか。あまり気にもしていないってのが実際でしょうか。

実態と異なってきてるからアレを現実に即したものに改める必要があるとか、有事のためにウンタラ、そもそも66年も昔の制定時の状況からしてカンタラ・・・。 色々な意見があって良いけど、後々の世代に言い訳や謝罪をすることがない選択をしなきゃなぁと思います。  

「戦争ってものは、なっちゃってからでは止められません。なりそうなときでも駄目。なりそうな"気配"が出そうなときに止めないと」

昨年亡くなった小沢昭一さんの言葉。このblogでも何度目かの引用になるけど、自分はやっぱりこれに尽きるという考え。手直しすることが即有事につながるなんてことはないかもしれない。きっとないんだろう。でも"気配"はどうしても感じざるを得ない。 ばーちゃんやひぃばーちゃんと暮らしていろんな話を聞きながら育ってきて、感覚的にそうなってる。いまだにそんな前時代的なことを、とか論理的でないとか言われても、これは理屈ではないのです。

今朝のテレビ討論を見てその思いはいっそう強くなった。国際社会での立場うんぬん。周辺国への対抗かんぬん。まるで子供が「○○ちゃんも××ちゃんも持ってるよ~!もってないと仲間はずれだよ~!」ってオモチャをせがんでるみたいに見える。 「隊」にしろ「軍」にしろオモチャじゃない。戦後生まれたちによる机上の話ばかり。 その必要性が説得力を伴っていないと感じたのは自分だけかなぁ。この国がせっかく持っている大切な個性をどうやったらより生かしていけるかに、もっと目を向けても良いと思うのだけども。 

国民は馬鹿ではないといわれる。 実際がどうだか分からないけど。
ただ、勢いとか流れに結構簡単にのったりのまれたりすることは知ってる。

目の前には楽しいこと、やらなきゃいけないこととか色々あるけど、今日が記念日のアレのことも心に留めておこう。

な~んて、慣れないこと書いたな。 呑みにいっちゃお。
今日は友達が福岡から地元ヨコスカに帰省予定。
家族同伴での帰スカで忙しそうだけど、なんとか会えたらいいねと相談中。
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by hey_leroy | 2013-05-03 12:23 | days | Comments(0)

卯月閑話

数日ぶりに晴れて、少し暖かい。
昨日、一昨日とサブかったものなぁ。

さて。散歩に行こう。
山あいの抜け道を歩いていると、ここがどこだかわからなくなる。旅に出た感じ。
木々の緑が濃い。ウグイスが鳴いてる。
途中の肉屋でおいしい唐揚げを買って、コンビニでビールも買って。
横須賀駅近くのヴェルニー公園へ。
おだやかな入り江を眺めながら、ビールのみのみ本を読む。
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このごろの散歩には、下北沢の老舗レコード店、フラッシュディスクランチのエコバッグをお供に。なんかIKEAな配色だね。これを肩にかけつつヨコスカをブラブラして宣伝活動のつもりだけど、まだ問い合わせは受けてないです、ツバキさん。

夕刻16時。口開けすぐの酒場「ぎ○じ」の客となる。
カウンターで、ビール小瓶、燗酒1本。肴はポテトサラダ、アサリのバター焼き。
この時間にくるのはひさしぶりだけど、やっぱり気持ち良いなあ。
ゆったりと流れる時間。かつぶし削る音。揚げ物の音。

そのあとのぞいた坂○屋さんで、大滝町のjazz barのマスターと一緒になる。そっか、今日は定休日でしたね。ということは図書館も休みか。予約してた本あったんだ・・・どっちにしても間に合わないや。ま、いいか。
立派な地モノのカサゴを煮つけで。うみゃい。アオアジ刺のおすそわけも。談笑しつつ、レモンサワーぐびぐび。酔い感じになって、お先に失礼する。帰宅は20時前。

帰ってからは、小沢昭一映画祭(個人的に)。
今月はCS(チャンネルNECO)で「"エロ事師たち"より 人類学入門」「経営学入門 ネオン太平記」「大出世物語」と、小沢昭一主演作が取り上げられてる。すごいことだ。前にやってた「競輪上人行状記」もあわせて、録画したのを見ています。晩年の飄逸な味にいたるずいぶん前の、脂ノリノリでバイタリティたっぷりな頃の意欲作ばかりで、1日1本でお腹いっぱい。1960年代の日本映画は玉石混交でありつつも、濃ゆいのがたくさんあるなぁ。
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by hey_leroy | 2013-04-22 21:45 | スカ呑みスカ喰い | Comments(0)

僕のハーモニカ昭和史

2月18日から26日まで、池袋の新文芸坐で「小沢昭一さん追悼特集」上映が決定。

『競輪上人行状記』『大当り百発百中』『大出世物語』『お父ちゃんは大学生』『にあんちゃん』『幕末太陽伝』『果しなき欲望』『エロ事師たちより 人類学入門』他、全18本上映予定とのこと。まだ詳しい日程はアップされていないけど、できるだけ行きたいなぁ。でも、池袋、遠い。。。


今年もひきつづき、小沢昭一さんが遺したものを追っていきます。
「遺したもの」なんて書くと、あぁ亡くなっちゃったんだなぁとあらためて思ってしまう。

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『僕のハーモニカ昭和史』  小沢昭一 (2011年 朝日新聞出版)

「全国で123回満員にした名物公演が、2008年4月に幕をおろした。最後の公演では小沢昭一が初めて自分の広島体験を語り、感動の涙を誘った。その伝説の公演を単行本に。『徹子の部屋』で語り合った戦争体験、憲法制定60年を機に語った「この日、集合」も収録。」(出版元HPより)

昭和の流行歌、童謡、そして反戦への思いを込めて、あえて軍歌も。ピアノを伴奏に唄い、ハーモニカを吹き、そして語る。声高に叫ぶのではなく、笑いのオブラートに包みながら、なにがあっても戦争はごめんだというメッセージが心に残る。話芸のなせる技。

「戦争ってものは、なっちゃってからでは 止められません。なりそうなときでも駄目。なりそうな気配が出そうなときに止めないと」と、かねてから各所で語っていた小沢さん。「愛国」なんて言葉がでてきたり、みんなが一つの方向に流れるのも危ない兆候だ・・・と。政治に限らず、天邪鬼っぽい部分がある小沢さんらしい。朝青龍とか嫌われているときも肩をもってたからなぁ。外交やら何やら問題は山積しているけれど、イキオイで進んでいくことの怖さを身をもって体験している人の言葉は重い。

この本と、新宿の寄席末廣亭に10日間「随談」として高座に上がったときの様子をそっくり収めた『小沢昭一的新宿末廣亭十夜』(2006年 講談社)は、ライブ感を味わえる貴重な二冊。音源か映像が残っていたらなぁとも思うけれど、やはり活字で読み継がれていくのが一番なのかもしれない。
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by hey_leroy | 2013-01-20 10:53 | books | Comments(2)