水無月閑話
2012年 06月 15日
旧暦のあれやこれやを無理やり当てはめようとすると、どうにも収まりがよくないですなぁ。
部屋にあった、雑誌「ku:nel」の2005年9月号をパラパラとめくる。
北鎌倉在住の画家、牧野伊三夫さんの夏の生活の記事。
絵を描くかたわら、酒場をはしごしたり、銭湯に入ったり、「小高い山研究会」(近所をスケッチする一人会)を発足させたりしている。
「40歳になって、これまでとはまったく違うことをしたくなった。
30代はまだどこかに20代を抱えていて、若者であることへの執着があったけれど、
40代は、20代が自分のなかからはっきり消失していく感じがある。
ならば、新しいどこかに向かってみようと。」
本業の絵のことではなく、せっかく海の近くに住んでいるのでサーフィンを始めようという、牧野さんの2005年夏の「冒険」への意気込みのおはなし。
当時読んだときは、とくになんとも思わなかったけれど、 自分が40代半ばになった今、
"自分の中からの20代の消失"という言葉は、それなりに迫りくるものがあるなぁ。
残念だとか寂しいというのではなく、あぁ、そういう感覚たしかにあるなぁ、と。
消失というよりは、消化なのかな。
噛みくだかれて飲み込まれて、反芻されたり、血となり肉となったり。
・・・ちょっときれいごとか。 そうあってほしいという願いか。
切り捨てたり、見なかったことにしたりで ”排泄” したものも多い。
それも消化のうちではあるけれど。
・・・でも、じっさいは、ただ消失してるのかもしれないな。 うむ。
記憶もあやふやになってきてるしなぁ。
自分・・・20代が、というより、この1~2年で消失したものも多い気がする。
記憶ではなく、生活の仕方とか、ものごとの嗜好において。
消失し、別のなにかが あらたに生まれているとも思うのだけど。
ま、いっか。 んなこといったって、そうそう人間変われるものでもないのだ。
さておき、同じ号に載ってた 『アボカドらっきょうのマリネ』 というのが気になる。
スプーンでくりぬいたアボカドと、スライスした酢漬けラッキョウと、納豆と、クレソンを、レモン汁を入れたオイルベースのドレッシングで混ぜあわせたもの。
味の想像がまったくできん。 でも、気になる。。。
昨日は予告どおりのワインじゃぶじゃぶ呑み会。
マグナムボトルが行き交う宴でした。
今朝、無事目覚めて弁当作れた(常備菜つめただけ)。ヨカッタ。
本日のお弁当。
茄子入りピり辛肉味噌。焼鮭ほぐし。にんじんしりしり。塩ゆでグリンピース。
チェリートマト。胡瓜と蕪の三五八漬け。ごはん。
あいかわらずのガサツ弁。
今週は5日間弁当皆勤。 そして毎日10キロ以上歩きました。
あ、今日は歩いてないや。
週末はリハーサル2連荘。
映画も見たいし、仕事もいかなきゃ。