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天井から降る哀しい音

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『 そうかもしれない ~耕治人 命終三部作~ 』 (2006年 武蔵野書房)

耕 治人(こう はると)。小説家、詩人。1906~1988年。

先日読んだ永井龍男の随筆で「老人文学の名作」と取り上げられていた、耕治人の晩年の作品を読む。自己の体験を基に綴られた私小説集である。発表当時(1980年代半ば)は話題になったらしい。

主人公である作家と50年連れ添う同い年の妻が、80歳で呆けはじめる。
買い物ができなくなる。鍋を焦がす。言動があやしくなる。

作家である夫は戸惑う。つい怒ってしまうこともある。そして、すぐにいたわりの気持ちを向ける。
長い結婚生活を思い起こしては、この呆けの原因をつくったのは自分なのだと己を責める。

そして、作家自身にも顕著にあらわれる老いと病。
妻は介護施設へ入所し、自分も体調を崩して入院した。

しばらくして、作家が入院する病院に、施設の人に付き添われて妻が会いにくる。
目の前にいる夫が誰か判らない。
付添人が何度か「あなたのご主人ですよ」と声をかけると、小声で「そうかもしれない」と。
作者は、妻が元気だったころに「そうかもしれない」という言葉をつかったときのことを思いだす。


濃厚な悲壮感はない。
妻の行動。自分の病状。起こったことや去来する思いを淡々と真摯に文章に刻みこんでいる。
病床での執筆なわけで、まさに骨身を削る厳しい仕事だったことだろう。
そして、それを書き上げるだけの気持ちの強さがあったのだろう。

「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」「そうかもしれない」が命終三部作と呼ばれている作品で、最後の「そうかもしれない」は作者の遺作になった。1988年正月、作者は口腔底癌により死去。81歳。 妻はその後15年間、96歳までの天寿をまっとうした。

後年(2005年)映画化もされたらしい。でも、これはぜひ小説で読みたい。
胸のうちにしんしんと降り積む哀しみ。
過ぎし日を省みつつ、妻への慈しみの念は深まるが、自分の身体はままならなくなる。
自分自身と、それをとりまく現実の「ままならなさ」の受け止め方が、第三者が書いたノンフィクションなどでは到底伝えられないものなんだと思う。

どっぷり沈痛な読後感ではないけれど、だからといって味わい深いとか、そういう綺麗事でもない。
作者の、物事への思い込みの強さや多少神経症っぽい気質も見え隠れしていて、あぁ、こういう一癖ある感じが私小説なんだな、と勝手に納得する。


一篇のタイトルになっている「天井から降る哀しい音」というのは、火の元の用心のために台所の天井に取り付けたガス警報機が発する音のこと。

「その音はリンリンという勇ましい音でもなく、ガアガア、がなり立てる音でもない。それほど高くないが、助けを求めるような、悲しげな音に聞こえた。」


* * *

今日は"二の酉"でした。
地元の"おかあさん焼き鳥屋"で、切り山椒をいただいた。
やわらかくて、ほんのり山椒が香る餅菓子。やさしい甘さ。
お酉さんのお菓子は、きんつばと切り山椒なのですよね。
酒場できんつばは、さすがに、ねぇ。
・・・なんて。 自分、本当はあまり抵抗ないんだけど。
by hey_leroy | 2012-11-20 21:00 | books

たゆむあした、ゆるむゆうべ。カマクラ発、ユルマッタリな日々。読み返されない備忘録。


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