合言葉は、マッチ
2012年 12月 19日
『燐寸文学全集』 安野光雅 / 池内紀・編 (筑摩書房 1993年)
洋の東西を問わず、小説・詩・戯曲などの文学作品から「燐寸(マッチ)」が出てくる場面をただひたすらに抜粋した本。マッチが物語のキーワードになっている作品、ということでもなく、その単語が登場した時点で参加資格が与えられる。あと、作家は故人であること。収録数は261作家、420作品におよぶ。粋というか酔狂というか、なんというか。最初と最後に、編者である池内先生と安野画伯の短文が添えられている。
文章は、作家毎50音順に並べられていて、ちなみに「あ」の作家は、アイリッシュ、芥川龍之介、阿佐田哲也、安部公房、アポリネール、有島武郎、アルセーニエフ、A・アレー、アンデルセン。アンデルセンはもちろん『マッチ売りの少女』だ。
ほとんどすべて、マッチが出てくる場面のみの抜粋なので、作品自体の起承転結を味わえるというものではない。マッチという存在に強い思い入れがある人とか、とにかく文字を追っていたい活字中毒者とか、こういうアイデアに惚れこんじゃった人とか、楽しめる人は限られるのかもしれない。
自分は・・・ちょっと活字中毒気味ではあるので、通勤の車内でパラパラとページをめくって楽しみました。色んな文体が次々に出てくるところが面白い。ハメットの次に林芙美子があったり、島崎藤村とジャコメッティがならんでいたり。武田泰淳と武田百合子夫妻や幸田露伴と幸田文の親子も隣りあわせだ。北原白秋はマッチのことを「阿蘭陀附木(オランダつけぎ)」なんて書いてる。
近年はライターなどほかの着火装置に取って代わられ、隅に追いやられた感があるけれど、マッチを擦る光景というのは、絵になるものだ。周囲を照らしたり、煙草に火を点けたりする一方で、人間の安堵や焦燥、心の揺れをあらわしたりもする。そう思ってから再び本をひらくと、抜粋されているのは短い文章ながら、場面のヴィジュアルがすぐに頭に浮かんできたり、人生の機微が感じ取れたり、なんだか濃密なのであった。燐寸は作品の演出に欠かせない小道具であり名脇役だった。
結果、なかなか粋なアンソロジーだったのだ。
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最後まで、カタカナでマッチと打つたびに「マッチで~~す!」が脳裏に去来。漢字で通せばよかった。。。