『歳月』 安藤鶴夫随筆集 (講談社文芸文庫 2003年)
伝統芸能についての批評や、東京下町の風物などを情感たっぷりに描いた「アンツルさん」こと安藤鶴夫(1908~1969)。そういや、
去年の歳末も読んでいたっけ。『年年歳歳』に『雪まろげ』なんて、いかにも年の瀬に読みたくなるタイトルだもの。
この文庫は、アンツル随筆のアンソロジー。『雪まろげ』、『わたしの寄席』、『わたしの東京』、『雨の日』、『年年歳歳』という5冊の随筆集から選ばれた全25篇。そのうち既読のものは8篇ほど。志ん生、文楽、三木助や講釈師・桃川燕雄といった芸人たちの思い出。むかしの東京風景。作家、久保田万太郎や長谷川伸のこと。浅草のどぜう屋。祭り・・・。さっぱりしていながら、どこか人懐っこい文章。
「このごろ、よく、こんなことを考える。
いま、古い、といわれているものが、ほんとうに、古いものなのだろうか。いま、あたらしい、と、いわれているものは、ほんとうに、あたらしいものなのだろうか。(中略)
古い、ということだって、あたらしい、ということだって、そんなちょろッかな、そんな単純なことではあるまい。古い、ということだって、あたらしい、ということだって、もっともっと、きびしく、たいへんなことなのである。(中略)
古くもなければ、あたらしくもない、なんだか、あいまいなものが、いま、わたしたちの身のまわりに、充満している。芸とか、芸術の世界がそうだし、みまわしてみると、古くもなければ、あたらしくもない、そういう、中途半ぱな、あいまいな、なんでもないものばかりで、いっぱいである。ほんとは、そんなもの、入らないのだ。
東京で、わたしは生まれ、東京で、育ち、東京で、いまも、こうしてくらしている。その東京の町でいうと、赤坂や六本木があたらしくって、上野や、浅草が古い、とは思えない。
あたらしいビルが立って、はじめ、目をそばだてるが、二年か、三年たって、そこを通りかかると、建物はまだ、きれいだけれど、もう、ちっとも、魅力のないビルになっている。すぐ魅力をなくす、ということは、ほんとうに、あたらしくはないからではないのか。(後略)」
(「わたしの東京」昭和42年)
ちょっと情に訴える感じが強いかもだけど、そこが魅力でもあって。
「古いもの」に惹かれることが多い自分だけれど、「温故知新」とはなにか。
「古人の跡をもとめず、古人の求めたるところをもとめよ」とはどういうことか。
そんなことを頭の隅っこにおきながら、来年は暮らしてゆきたいと思っております。
・・・年越し気分にはまだ、チト早いね。