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台所のおと



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『台所のおと』 幸田文 (講談社 1992年)

数年前に古本屋で買って、少しだけ読んでそのままになっていた本。
部屋には、こういう未読のがそこそこある。
しばらく図書館で借りてくるのはひかえて、家の本と向きあおうと思う。

幸田文(1904~1990年)は、明治の文人、幸田露伴の娘。
露伴の死後、40代で執筆活動を始めたという。
この本は昭和31~45年に文芸誌に発表された10篇の小説をあつめたもの。

北杜夫に「あくびノオト」という本があって、「あくびノート」とも「あくびの音」とも取れるタイトルだなあと思ったけど、この「台所のおと」も、「台所ノート」と読むと、お料理関係の随筆かと間違ってしまいそう。あ、でも表紙の改行を見れば一目瞭然か。

その表題作が、なんともいえず良い。病で床に臥せている料理屋の主人。耳に入ってくる台所の物音から、料理の進み具合や、主人に代わって包丁を握る妻の心身の状態まで手に取るようにわかる。医者から聞いた病状を本人に悟られまいとする妻だが、包丁の音から、何かに遠慮しているような冴えない感じがあると夫に指摘される。台所での所作や心の機微の描写が、精微ながらしっとりとして澄んでいて、うなってしまう。日本語のもつ情緒、美しさを感じさせてくれる。谷崎潤一郎などの大作でなく、市井の人々の暮らしを描いたこういう小説で味わえる美しさが自分にはしっくりくるように思う。収録されているほかの作品も、病や老い、厳しい暮らし向きなど、明るくはない題材のものが多いけれど、筆致は重くなく、そういった日常のなかにある、ささやかでさわやかな物事を丁寧にすくいあげ、再生への希望を見出す、そんな小説たちだ。『祝辞』『雪もち』『おきみやげ』・・・どれもがそれぞれ心に残る。

ふだん耳にしない言葉遣いも印象的だった。
「自分の気持がうじゃじゃけそうでいやだ」、「それらしくもある顔の道具だてである」、
とみこうみしたあげく」など。
これらは目につきやすかったものだけど、文章全体の調子からして、上品とは違うけど品があって、小ざっぱりとしていて、心地よいものだった。

他の作品も読みたい・・・けど、そうだ、図書館はひかえて、家にあるのを読みすすめなくては。





by hey_leroy | 2016-04-21 23:49 | books

たゆむあした、ゆるむゆうべ。カマクラ発、ユルマッタリな日々。読み返されない備忘録。


by hey_leroy