図書館へ、予約していた本を取りに行きがてら、館内をブラブラ。食・料理関係の棚で、目にとまったのを何冊か抜き出す。
『ステーキを下町で』 平松洋子 画・谷口ジロー (文藝春秋 2013年)
平松洋子さんの文章はどれも魅力的だ。
食味随筆しかり。文芸書評しかり。身辺雑記しかり。
豊富な言葉の引き出し。卓越した観察眼と的確な描写。
浮かび上がる景色。伝わってくる感情。
女性ならではの細やかさがありながら、気風の良さ、潔さ・・・漢気も感じる。
根室でサンマを、帯広で豚丼を、津軽でイカメンチを、赤羽でジャンボ酎ハイを、
下北半島で鮟鱇を、京都でうどんを、鹿児島で黒豚を、久慈で「うに弁」を、
そして、下町でステーキを。
その土地のこと、店のこと、人のことを丹念に描き、それらが食べもの・味についての記述とふくよかに絡み合い、まさに垂涎の読み物となっている。
ああ。
どこかに行きたい。
いますぐ行きたい。
『京都の中華』 姜尚美 (京阪神エルマガジン社 2012年)
本屋に並んだときに何度か立ち読みしつつ、いつか買おうと思いながらも気づけば絶版。今やamazonでも高値取引。図書館にあってよかった。
京都での中華料理は独自の発展をとげてきたという。花街とのつきあいも深く、臭いのあるニンニクや油気、強い香辛料は嫌われる。そして、「あんかけ」や「かやく」、「だし」、「かしわ」といった京都の食文化。本場中国のエネルギッシュさとは一線を画した京都の中華。「かしわのおすまし」のようなフカヒレ入りスープ。「みたらしのような」肉だんご甘酢。「かやくごはんのような」焼きめし。「たけのこぎっしり」えびの春巻。 などなど。
「江戸のつけ味、大阪のだし味に対して、京のもの味である」と書いたのは、京都生まれの民族学者・梅棹忠夫。確かに京都の人は、衣食住すべてにおいて、「もの」が持つ味を愛でるため、不要なものを「削ぐ」「抜き去る」または「薄く味を付けて引き立てる」ことに腐心する。「京都の中華」も同じかもしれない。にんにくのパワーでなく「香り」を、油の量ではなく「こうばしさ」を、強い火力で初めて知る「素材の味」を、かつお・昆布にはない「鶏がらだしの風味」を、和食にはない「ほんの少しの無礼講」を、私たちは求め、食べている。(本文p86より)
この本では、著者が食べ親しんできた18軒が取材されている。コース料理の店、学生に人気の店、昔ながらの町中華、などなど。いわゆるガイドブックではない。
新福菜館も天下一品も登場しない。街、店、人、味。ひっくるめて掘り下げた一冊。そして、目にも麗しい一冊。
写真の色味や質感がうつくしい。
カメラマンの齋藤圭吾さんの仕事が光る。雑誌「ku:nel」や「雲のうえ」ほかで、気になる写真を撮っていたのはこのかた。
この夏に弾丸で出かける予定の京都。どこか一軒でも寄れたらなあ、と思う。