「それは初場所の千秋楽だったのだけれど、十両の取組みが終って幕内の土俵入りになる。東から呼出しさんの柝(き)でもって花道から幕内の力士が歩いてくる。土俵入りが終って、東方の力士が、ふたたび柝でもって退場する。次に西方の力士があらわれる。そのとき、東方の呼出しさんの柝が、西方の柝と交錯するのである。一方は終わった柝、もう一方は生まれてくる柝。両方の柝が重複するのは非常に短い間である。東西の柝が鳴ったその瞬間に、鼻の奥がむず痒いような目が渋くなるような感じがあって、それに耐えるのに苦しんだ。私は泣いていたのである。」(「並木の藪の鴨なんばん」より。『行きつけの店』収載)
山口瞳のこの文章。初めて読んだ時からずっと印象に残っている。以前このブログでも引用したことがあったと思う。人は生まれ、死んでゆく。
柝の響きに大切な人への思いがかさなる。ちょっとおセンチな山口センセイらしい文章。
先日見に行った五月場所でも、なんとなくこの文章を思い出していた。二階の椅子席では、それほどの情緒を感じ取ることはできなかったのだけど。
それでも、テレビを見ているだけではわからない臨場感がある。お相撲さんの色気、興業としての魅力。
呼出しさんが打つ柝の響きもそうだ。
日暮れ時の七里ガ浜。
寄せる波と引く波が交錯する瞬間。
やはり、上掲の文章が浮かぶ。
より感慨が深いような。
しばし眺め入る。
五月も、もうすぐ終わり。
ケーブルテレビから貸与されてるハードディスクの調子が悪く、
取り替えになるかもしれん・・・ということで、
ここ数日、無造作に放り込んであった録画番組を精査し、DVDに。
ドキュメンタリーや、ソフト化されていない古い日本映画など数本。
あと、小津・川島作品も何本か。
所有欲はほとんどなくなったとはいえ、まだまだゼロという境地には。
1本のダビングにもかなり時間がかかるので、やや睡眠不足なり。
おかげで酒場に行ってないので、この方が健康的ではある。
で、結局、ハードディスクの交換にはおよばず。
ダウンロードしたものは目には見えないけど、整理するとそれなりに気持ちよい。