カテゴリ:books( 345 )

かこさとしさん、やすらかに

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絵本作家、加古里子(かこさとし)さん。
5月2日に92才で旅立たれたと今朝の新聞で。
藤沢在住とは近年まで知らなかった。

本当に本当にお世話になった絵本たち。
「あなたのいえ わたしのいえ」や「とこちゃんはどこ」(作画のみ)は、読みすぎてボロボロ。でも捨てられない。
今年初めには、だるまちゃんシリーズの新作も出たり、まだまだご活躍と思っていたので驚きました。

平和への強い思いをお持ちだったことも、忘れずにおきたい。

今日は雨降り。仕事は休み。久しぶりにじっくり読み直そう。

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by hey_leroy | 2018-05-08 21:17 | books | Comments(0)

古本屋台

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『古本屋台』 Q.B.B.(作/久住昌之 画/久住卓也)2018年 集英社


首都圏に屋台って、まだ、あるのかなぁ。
八重洲のあそこは、もうないのかな。ラーメン屋じゃない方。
行ったことないけど気にはなってた。
目黒駅前にあったおでん屋台には四半世紀ぐらい前に酔って入った記憶がある。
江ノ島に渡る橋にあった屋台たちもなくなり。
横浜西口の川っぺりにあった屋台たちも去年とうとうなくなった。
ま、もう、あきらめてるけども。

それはそれとして。
久住さんのこの本。ひょっとしてひょっとすると名著かも!
・・・個人的趣向との合致具合がね~。

おでんやラーメンではなく、古本を積んで夜な夜な灯りをともす古本屋台。
呑みたい人には、さつま白波。ただし、一人一杯かぎり。
「うちは飲み屋じゃないんだから」
クゥ~ッ! おやじさんのキャラにしびれる。

岡崎武志さんや荻原魚雷さんがモデルとおぼしき常連さんたちも登場したり。

いいなあ。1話、見開き2ページ、12コマのオトナのオアシス漫画。
渋い。そして繰り返し読んでも飽きない。

なんだろ、これ。

名著だな、やはり。

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by hey_leroy | 2018-04-16 23:29 | books | Comments(0)

浅草風土記

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『浅草風土記』 久保田万太郎  (中公文庫 2017年)

久保田万太郎。小説家。劇作家。演出家。俳人。明治22年生まれ。昭和38年没。
僕の曾祖母と同じ年に生まれたんだなぁ。曾祖母は僕が社会人になった年に99歳で亡くなった。もっと話をたくさん聞いておくんだったなぁと思う。大正元年生まれの祖母、大正9年生まれの大叔父も長命だったから、いろいろ昔話を聞く機会はあったのに。

この本は、久保田万太郎が生まれ育った浅草の明治~大正~昭和の移り変わりを描いた本。いや、移り変わりというよりは、明治の浅草の鮮明な記憶の精緻な描写を元に、その後の風俗の変遷、震災や戦禍によって失われたものたちを記した本というべきか。

明治45年、学生時代に「三田文学」に寄稿した文章に始まり、大正半ばや昭和初期のものを主に収録、一部に晩年昭和30年の随筆も含まれる。実に長い年月にまたがった、浅草文集。浅草への賛美であり、鎮魂でもある。

しっとりと、こざっぱりと、つつましげな、昔の浅草。
久保田万太郎の文章も、そういう空気を孕んでいる。
こざっぱりと、というには少々湿っぽいところもあるけど、明治生まれが書く随筆にはそういうところがあるのかもと思ったり。ちょっとロマンティックだったりナルシスティックだったり耽美的であったり。

微に入り細に入りな浅草の描写は、自分にはさっぱりわからないけど、わからないなりにも何かを思わせたり、思い出させてくれたりする。そしてある種の感情をいだかせたりする。
あぁ、やっぱり大叔父に、下谷生まれで浅草神谷バーの大常連だった大叔父にもっと話を聞いとけばよかった。

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by hey_leroy | 2018-04-09 05:54 | books | Comments(0)

日没閉門


内田百閒の単行本を見つけると、ほしくなる。
もちろん安価であることが大事だけど。
藤沢の古書店で、目に留まった。
そう古い本ではない。
でも、かなり手ごろ。
自分の安い呑み代の1軒分よりもっと下。
なので、買いました。

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『日没閉門』 内田百閒 (新潮社 1971年)

百鬼園先生の没年と同じ発刊年月が同じなのでちょっと調べたら、存命中に作った最後の本なのだった。百閒の葬儀の日に、刷り上がった本作が棺に納められたのだという。


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紙の外袋を外すと、夫婦函がでてくる。普通のハードカバーの本とはずいぶん異なる体裁。
これは、気になる、、、


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で、こうなります。
(夫婦函って、こういうの。じつは自分初めて知った言葉)

丁寧に作られてるなぁ。
どうしても文庫で接する機会が多いので、単行本でゆっくりページを繰るのがうれしい。

表題作の「日没閉門」はすでに読んでいた。

世の中に人の来るこそうるさけれ
とは云ふもののお前ではなし
(蜀山人)

世の中に人の来るこそうれしけれ
とは云ふもののお前ではなし
(百鬼園)

諧謔、シニカル、いたずら心。。。
でも、嫌味や作為がないところが、時代を超えて読まれている所以のような。

最後に収められているのは未完の絶筆「猫が口を利いた」。
これも以前読んだことはあったけど、あらためて読み返して、グッとくるものがあった。
随筆と奇譚小説と猫愛と。。。百閒のエッセンスがホンの数ページに詰まっているような。
未完だからこその魅力。なんていうと贔屓目が過ぎるかな。

その他、あまり語らなかった郷里岡山での思い出も多く綴られている。

愉しい読書時間でした。







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by hey_leroy | 2018-03-18 21:26 | books | Comments(0)

弥生閑話


昼から、横浜でリハーサル。
リハ時間より打ち上げ時間の方が長いというお約束。


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付録の小冊子欲しさに、100万年ぶりにPOPEYEを買う。
平野紗季子さんによる「二〇十八年 東京味な店」。
凡百のグルメガイドとはまったく異なる次元の、ごはん愛がぎっしりつまった冊子。
みんなそれぞれの「味な店」を愛せよ、という啓蒙の書でもある。と思う。

POPEYE本体は、姪っ子に贈呈した。



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by hey_leroy | 2018-03-10 23:56 | books | Comments(0)

カマクラ散歩のお供に

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『鎌倉近代建築の歴史散歩』 吉田鋼市  (港の人 2017年)

古都鎌倉。寺社に目が行きがちだけど、歩いてみると、古い洋館や木造校舎、石造りの元銀行のバーなど、明治から昭和初期、戦後のものでも趣のある建物がそこかしこに。
・・・なぁんてことは、みなさまご存知の通りで。
鎌倉小町の踏切脇にあった朽ち果てた洋館とか、すでになくなったものも多い。
この本に載ってるなかでも、取り壊されちゃったのも幾つかはあるようで。
知ってる建物たくさん。
でも、わりと近所なのに知らなかった茅葺きの古民家もあるらしく。
公開されてるとこ、されてないとこ、店舗になってるとこ。
この本片手に散歩してみよう。
建築的価値云々は別として、いい風情の建物はこの本に載ってるところ以外にもまだまだ残ってるわけだし。
自分好みの風景、もっと見つけに行こう。


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by hey_leroy | 2018-03-10 21:42 | books | Comments(0)

ここんとこ読んでた本


インフルエンザで外出できなかった数日間。
熱はすぐに下がって、時間を持て余しまくってたので、読みかけだったり、いつか読もうと積んどいた本にガッツリと取り組むことができた。

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『あの頃 単行本未収録エッセイ集』 武田百合子 (中央公論新社 2017年)

没後25年にして、500頁以上の単行本未収録の随筆が読めるとは。
ゆっくり味わいながら読みすすめようと思っていながらゆっくりしすぎて、買ってから1年近くたってしまった。

夫、武田泰淳との思い出。富士の麓の山荘での暮らし。
交遊録。日日雑記。映画。本。子供の頃や戦中戦後。

物事をとらえる「眼」のすごさ。観察眼。凝視力。
風景も、人間も、思い出も。なにからも目を背けず、目に入るすべてを取り込んでしまうような。
短い文章も長めのも、随所で瑞々しく輝いている。
しあわせな読書時間。


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『最高殊勲婦人』 源氏鶏太 (ちくま文庫 2016年)

1958年から1959にかけて週刊明星(!)に連載された小説。
ここ数年、源氏鶏太や獅子文六など昭和30年代の娯楽小説が再びアツい。
ずいぶん文庫で復刊されている。
図書館の書庫の隅の方でもう何年も借りられていないであろう、ボロボロの「三等重役」や「大番」などをむさぼるように読んでいた身としては、うれしいような、ちょっと淋しいような。
で、「最高殊勲婦人」。昭和30年代の家族や仕事のありようをユーモラスに、時にホロリとさせつつ描いたもの。なんというか、荒唐無稽なところもないではないけど、楽しく読める。経済は右肩上がりに成長し、仕事観、倫理観などが大きく変わってきている時代。その空気をたくみに切り取って人気を博した。若尾文子主演で映画にも。
「どういうことですの?」「きっとよ」「おっしゃいよ、気になるわ」
・・・今では聞かれなくなった言い回し。話し言葉っていうのも、生きものなんだなぁとつくづく思う。

解説文に愛が感じられないのが残念だけど、小説自体には何の関係もないこと。


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『石の心を ~山崎方代という歌人~』 高村壽一 (邑書林 2000年)

後半生を鎌倉手広で暮らした歌人・山崎方代についての評伝や思い出を、晩年に親交があった筆者が綴る。
大正3年、山梨の右左口(うばぐち)生まれ。戦争で眼を負傷。ほとんど定職に就かず(就けず?)歌をつくる日々。
朴訥で野性味があり、酒を愛し、家族は持たず。
鎌倉での暮らしぶりが細やかに記されているのが興味深い。
よく通ってたお店。
地元手広では、梅乃寿司、とりつね、ちんや食堂、コップ酒の守田屋。鎌倉では、小町通の野菊(小料理)、相模屋(コップ酒)、おふくろや(コップ酒)、二楽荘(中華)、踏切近くの田楽など。若宮大路に出ると、あらめ屋、さくらや、三河屋(コップ酒)、そして八幡宮前の鎌倉飯店(ここの店主宅の敷地内に方代さんは小屋を建ててもらって住んだ)。ほかに名が挙がるのは、銀倉、鶴八、つぼ八、古都、いさむ、大番、もんじゅうる、スピードクイーン、寿司駒、ときわ寿司など。
半数弱ぐらいはまだあるかな。
すいません。自分のための備忘メモとして。


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『百鬼園残夢 内田百閒の揺籃と恋』 伊藤隆史・坂本弘子
(朝日新聞社 1985年)

作家・内田百閒(1889~1971)に関する本は意外とたくさん出ているけど、この本は故郷・岡山での生活に関する逸話が中心に据えられているのが興味深い。造り酒屋の一人息子として可愛がられ甘やかされてわがままいっぱいに育った「ホンソウ子」(岡山の方言だとか)。しかし、少年時代に店は没落。東京帝大に入るため上京してからは、80歳を超えて没するまで郷里の土を踏むことはほとんど無かった。戦災などで変わってしまった街の姿を見ることができなかったのだという。そのほか、岡山での恋のエピソードも貴重。



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『好きな歌・嫌いな歌』 團伊玖磨 (読売新聞社 1977年)

作曲家であり「パイプのけむり」などのエッセイでも知られる團伊玖磨。
週刊読売に連載していた文章の単行本化。これも買ってから読むのに時間がかかったなぁ。なんとなく文章との呼吸が合わなかった。興味深い部分もけっこうあったのだけど。

前書きで、「この本で、僕は、誰でも知っている歌を素材に、人の心の綾とその不思議さを思っていきたい。題して「好きな歌・嫌いな歌」但しこれは、平均的日本人の知っている、共通財産である歌という意味である。だから、外国の歌でも、日本人の心の中に根を下ろし、生きている歌は取り扱うし、童謡も、流行歌も、我々の共通感覚の中に生きているものは何でも登場してくる筈である。但し、この本には、軍歌と寮歌は殆んど出て来ない。何故なら、その殆んどは、好きとか嫌いとか言う以前に、歌として考えられぬ程粗野なものが多いからである。(つづく)」とあるが、この本が書かれてから40年たった今、「平均的日本人の知っている、共通財産である歌」というものが果たしてどれだけあるものか。嗜好の多様化か、世代の分断か、なんだかわからないけれども。

文部省唱歌など、お役所がからむとロクなことにならない、というのはその通りだと思った。文語体から口語体への書き換え(改ざん?笑)とか。元々あった詩情とかはズタボロにされるわけで。
そのほか、作曲家の視点から、歌詞だけではなく曲の構成やメロディーの分析などからのアプローチもある。「青い眼をしたお人形」が子供ごころにとにかく嫌いだったという話とか。今でもイヤだという。わかるような気がする。ちなみに自分が初めて聞いてから今までずっと嫌悪してる曲は、前にも書いたかもしれないけど、ドアーズの「ハートに火をつけて(Light My Fire)」です。好きな人多いだろうな。スイマセン。こればっかりは生理的にダメ。コード進行も、展開も、メロディも。・・・歌詞は知らない。


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『めご太郎 ~帰省するつもりで訪れる青森市』 (星羊社 2017年)

横浜で「はま太郎」という地元に根差した雑誌をつくっている夫婦ふたり出版社による「観光より、一歩先の旅をしたい人にお届けする一冊」、めご太郎。
いわゆる観光ガイド本とは一線を画した、青森という町への愛に満ちた読みもの。
奥さんの地元が青森、ということもあるけど、他の地域のも作ってもらえたら面白いだろうなぁ。

普段から、関東近郊は「思い立ったが吉日」的ぶらり旅をしてるけど、なかなか青森は遠い。遠いけど行きたい。自分の足で歩いてみたい。中学生の時に行ったことあるけど、記憶ほとんどない。

あぁ、そういや、秋田も山形も行きたいんだった。
友だちが暮らす、沖縄も宮古島も福岡も行きたいんだった。
四国も一度は旅したい。
ふわぁぁ。


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by hey_leroy | 2018-03-08 09:00 | books | Comments(0)

小沢昭一的雑談のこころ

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『小沢昭一雑談大会』小沢昭一 (芸術生活社 1972年)

主に昭和40年代に雑誌や新聞に発表された文章をまとめたもの。
役者稼業のつれづれ、新劇のこと、交遊録、子供のころの思い出からオネエチャン系のはなし、大衆芸能のこと等々。
フランキー堺や大宅壮一らとの対談もあって読み応えあり。

で、たまに真面目なハナシになるところが、やはり良い。
小沢昭一さんの主張は、一貫して、ただひとつ。以下引用。

 (前略)子供たちに健康な体と個性豊かな人間性を持たせるためには、不適な今の東京生活の中で、私たちの日々はもはや戦いになってしまった。
 なかなかひまもないが、体のあいた時には、子供とフナや虫でも採りに、せめて東京を離れよう。そして、その行き来に、彼らに私の戦争体験を、苦しかった庶民の一人としての実感で話してやろう。もう四十になったおやじの、どうしても教えておきたいことは、あの戦争の話だけだ。
 あとのことは、むしろどうでもいいと思っている。彼らにまかせておいてきっと大丈夫だ。
 教育というよりも、それ以前に、親子一丸となって防がねばならないことがヒシヒシと押し寄せてきているような気がする。(「わが家のの教育方針?」毎日新聞 昭和44年3月15日)

戦争がどういうものだったか、子供や孫に語らず、目先の生活に追われ、あるいは意識的にその話題は避けて暮らしてきたツケというのは、小さくはない。高度経済成長やバブルで浮かれて、はじけ飛んだ時には、もう語れる人はどんどん減っていたのだ。教科書でのベンキョーではなく、身近な人が語るからこそ、自分の中身に残る。「これだけはゆずれない」ということを小沢さんは亡くなる直前まで語りつづけた。ユーモアのオブラートに包みつつ。


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by hey_leroy | 2018-03-06 10:47 | books | Comments(0)

明治少年懐古

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可愛らしい本を買いました。

『明治少年懐古』 川上澄生 (冬至書房 1975年)

昭和19年に出版されたものの復刻版。
川上澄生(1895~1972)は版画家。詩もつくった。
自分が知ったのは、永井龍男の小説「石版東京図絵」の表紙や挿画で。
その小説内でも、また別の随筆「へっぽこ先生」でも、川上の「明治少年懐古」のことが触れられている。
昭和20年に鎌倉の古本屋で買ってから30年以上つねに座右に置き、気がふさいだ時や仕事がはかどらない時に開いていたのだそうだ。


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個性的な活字。多くの素朴な版画。
何枚かは色刷りのページもある。
明治半ばの東京の風俗。遊び、学校、物売り。。。
昭和19年の本だけれど、戦意高揚とかは微塵も感じられない。
物資も乏しい時期に、よくもこれだけ美しく丁寧な本が作れたものだと思う。


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大切にしたい一冊。
10年ほど前には文庫にもなっているようだ。



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by hey_leroy | 2018-03-04 09:28 | books | Comments(0)

正岡容2冊

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『圓太郎馬車  正岡容寄席小説集』 
『寄席囃子  正岡容寄席随筆集』 (河出文庫 2007年)

正岡容(まさおか いるる 1904~1958年)。
神田の生まれ。寄席芸能評論家。随筆家。作家。自ら高座に上っていたこともあったというのは今回初めて知った。なにしろ、大正から昭和前半ころの芸についての話だ。いや、明治のことも多い。芸人の名前も、噺の名前も、当時の風俗も、まぁわからないことだらけ。わからなすぎて、かえって心地よいくらいだ。

随筆集の「寄席囃子」は、そんなわけで、読みすすめるのに少々難儀する。この時代だからなのか、批評にも自伝的文章にも、自己陶酔的な感じがあり、そこが読み物的な楽しさにもなっている、ともいえる。東京の街にもおびただしい数の寄席があった時代。一握りの大看板。その他、巧いもの、巧くないもの、破天荒なもの、陰気なもの。。。芸人たちの層の厚さに思いを馳せる。

小説集「圓太郎馬車」は、実話だか創作だか、両者混じってるのか、まぁ、読みはじめればどうでもよくなる、愉しめる話が4本。読む人情噺だね、こりゃ。今読んでも古臭さがない。芸人は生き方がにじみ出てなきゃいけないねぇ・・・と、時代錯誤を承知でうなずくのであった。いっそ、相撲もスポーツだ国技だなんて大見え切らずに、興行です見世物ですってやらぁ・・・ングング




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by hey_leroy | 2018-02-23 18:31 | books | Comments(0)